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サーキュラーエコノミーに向けて邁進する廃棄物処理のリーディングカンパニー② 技術開発進め、処理業から製造業に進化する大幸グループ

サーキュラーエコノミーに向けて邁進する廃棄物処理のリーディングカンパニー② 技術開発進め、処理業から製造業に進化する大幸グループ
大幸グループの堺プラント
大幸工業提供 転載禁止

循環経済に向けて業界の先頭を走るリーディングカンパニーの4社を紹介した「建設廃棄物革命」(杉本裕明著、環境新聞社)のうち、今回は、建設工事現場から発生する建設汚泥を原料にリサイクル製品を製造する大幸グループ(大阪市)を紹介しましょう。土木工事から発生する建設汚泥や建設発生土は、扱い方を誤れば、2年ほど前に28人の死者を出した静岡県熱海市の土石流災害を引き起こしてしまいます。そんな中、適正処理とリサイクルに賭ける大幸グループの活動が注目を浴びています。

ジャーナリスト 杉本裕明



大阪ベントナイト事業協同組合の堺プラント

トンネルや道路、ビルなどの工事現場から発生する建設汚泥は、年間600万トンにものぼる。建設汚泥は産業廃棄物とされている。外観がよく似たものが同じ建設現場から出る建設発生土。こちらは水分を含む率や強度を表すコーン指数によって第1種から第4種まで分かれる。4種になるに従い、水分が多く、泥状になってくる。建設汚泥は、それをトラックに積載した時に歩けないような状態のものをいうとされている。

土のように見える汚泥を積み上げると、雨が降るとどろどろになって流れ出て、災害の危険性もある。しかし、一方で、異物や有害物を取り除き、石灰をまぜて水分を減らし、薬剤を入れて再泥土化を防止し品質を向上させる(安定処理)と、使い勝手のよい埋め戻し材などにリサイクルすることができる。以前は、建設現場から出た建設汚泥は、最終処分場に埋め立て処分されていたが、そんなことを続けていたら、処分場は逼迫(ひっぱく)してしまう。そこで建設汚泥を原料にリサイクル製品を製造する試みが始まった。

「建設汚泥のリサイクルに命をかけています」と語る浜野さん
杉本裕明氏撮影 転載禁止

大阪にある大幸工業(浜野廣美社長、大阪市住之江区)と大阪ベントナイト事業協同組合(浜野廣美理事長、同)などからなる大幸グループは、この汚泥のリサイクルに取り組んできた業界の代表といってもよい。だれも、考えもしなかった時代に、再生利用を打ち出し、研究開発に取り組み、埋め立て処分から脱し、リサイクルの道を切り開いてきた。汚泥処理業界のリーダーである。どんなふうにリサイクルしているのか。

堺プラントのバースでは船に再生土(ポリアース)を積み込んでいた
杉本裕明氏撮影 転載禁止

大阪府堺市西区のバースのそばに、「大阪ベントナイト事業協同組合」の名前の建物が見えた。ダンプトラック、ブロアー車やセメント運搬車などがひっきりなしに出入りする。事業協同組合は、大幸グループのメンバーで、大幸工業社長の浜野廣美さんが理事長を務める。ここのプラントで汚泥から改質土の「ポリアース」と、流動化処理土の「ポリソイル」を製造している。大幸工業は、建設現場から建設汚泥をここに運び、リサイクル製品をユーザーの元に提供する運搬事業を担っている。

汚泥から造る高品質のリサイクル製品

この堺プラントの工場長は山田修一さんが務めている。この日は、リサイクル推進室の大前延夫さんが案内してくれた。大学を卒業してゼネコンに務めていた時代に、京都大学大学院に学び博士号を得た土の専門家だ。

大阪ベントナイト事業協同組合の山田所長(右)と大幸工業の大前さん
杉本裕明氏撮影 転載禁止

「工事で使う埋戻し材(いったん掘った穴に注入するために使う土・砂・汚泥を改良したものなど)は、1960年代までは海砂など良質材がありましたが、海洋環境に悪影響があることから、70年代に規制され、山砂採取に変わりました」

「関西では、関西空港の人工島の土は大阪,和歌山と淡路島などから供給されましたが、大規模なあまりの自然破壊に、これが最後となりました。いまはそんな行為は許されません。60年代、70年代に建てられた建物が建て替え時期になり、建物の解体により発生するコンクリート塊は,リサイクルの用途が偏っている。また、建設汚泥の利用は、国土交通省がいうほど進んでいません」

ダンプからピットに落とされる建設汚泥
杉本裕明氏撮影 転載禁止

では、その汚泥はどんなリサイクル製品に生まれ変わっているのか。プラントのある構内にはダンプトラックやブロアー車が次々とやってきた。ヘルメットをかぶり、防塵(ぼうじん)マスクをした作業員が車を建物の中に誘導する。受け入れピットがあり、そこにダンプアップし投入する。汚泥は、水分が多く、びしゃびしゃの泥水状である。

二階建て処理で高品質を確保

大前さんは「持ち込まれた建設汚泥は2階建て処理です。1階は安定処理する再生土(ポリアース)、2階は流動化処理する流動化処理土(ポリソイル)です」と説明した。持ち込まれた建設汚泥の性状などにより再生土の「ポリアース」と流動化処理土「ポリソイル」のどちらかに振り分け、最適な再生品を製造している。

「ポリアース」の製造工程は、受け入れピットで受け入れた建設汚泥を、パワーショベルで粗混合し、製造プランの投入ホッパへ投入する。固化再生施設で篩(ふる)い、80ミリ以下に分級し、固化材を添加する。ごみなどの異物除去は磁選機(3基)で鉄屑、ごみ除去機でその他の異物を回収する。できた「ポリアース」は製品倉庫に保管される。

ポリソイルの品質を検査する。圧縮試験後の断面
杉本裕明氏撮影 転載禁止

製品倉庫には約5,000立方メートルの再生土を保管でき、海上輸送にも対応できる。運搬船は一隻1,000~1,500立方メートルで、3、4隻分に当たる。「ポリアース」は、第2種処理土から第3種処理土の品質を確保している。

リサイクル製品の品質管理は厳格に行われ、頻繁に検査が行われる(堺プラントの試験室)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

流動化処理土「ポリソイル」の製造工程は、受け入れピットの汚泥の品質を確認し、解泥ピットで解泥、配管でポンプ圧送。製造施設でごみや礫分(れきぶん)を取り除き、回収した砂分は販売する。ロッドスクラバーと呼ばれる礫取り装置、砂分を回収する振動篩と、ごみを取るハイパーシェイク分級機が備わっている。

制御室の制御盤。コンピューター管理され、処理の状況が一目でわかる(南港処理センター)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

攪拌・保管している泥水に固化材の高炉セメントと混和剤を添加すると、「ポリソイル」が完成する。ポリソイルは、密度と強度を高めた細骨材入り流動化処理土の「ポリソイル」と、通常の細粒流動化処理土の「ポリソイル」の二種類がある。これら一連の配合への混合・製造・保管に至る機械操作は自動制御され、コントロール室で社員が管理し、年間出荷量は4万~5万立方メートルという。

不要になった水道管の充填(じゅうてん)などに利点

「ポリソイル」は、流動性の高い性質を活かし、地下の空洞のような狭隘(きょうあい)な空間や、擁壁背面、護岸の埋め戻し、埋設管の埋め戻しなどに使うことに適している。

「固くなってしまうようだと、強度が出すぎることになり、埋め戻した後、(将来工事現場を)掘削する際に困ってしまいます。締固めが不要など工事の手間もかからず、将来の工事でも土と同様簡単に掘削できるところが、『ポリソイル』のいいところです」と大前さんは語る。

浜野清さんが創業した大幸工業

大幸工業の本社と事業協同組合の事務所は大阪市住之江区平林の大和川の近くにある。社長の浜野廣美さんが言う。

「先代からいろんなことを教えてもらいました。誠実で、ひたすら仕事に打ち込んだ人です。その先代の背中を見て仕事を覚えた。リサイクルにカジを切りましょうとの私の提案を受け入れ、巨額の投資を認めてくれました。先代の決断がなかったら、いまの大幸グループのリサイクル事業は存在しなかったに違いありません」

先代の清社長の遺志を引き継ぎ会社を発展させた浜野廣美社長。浜野清社長の肖像画と
杉本裕明氏撮影 転載禁止

先代とは、創業者で義理の父でもある浜野清さん(故人)のことだ。1937年、大阪府泉佐野市(当時佐野町)の農家、奥野家の次男として生まれ、工場で働いていて浜野セツ子さんと巡り会い、結婚し、浜野家に入った。

仕事に精を出す清さんを義兄が見込み、大阪市内でガソリンスタンドのピット(ガソリンをためる地下空間)の清掃事業の仕事を任された。それがきっかけで、1970年秋、「大幸工業株式会社」を設立し、その後、建設汚泥の処理業を始めることを決心した。

造成工事の会社が、発生した汚泥の処理に困っていたのに着目した。かつてガソリンスタンドの油水分離槽の清掃で身につけた技術が役に立った。暗渠や下水管の清掃を行い、回収した汚泥を最終処分場に運ぶ仕事は、汚泥が溜まり困っていた業者から歓迎され、会社は大きくなっていく。

廣美さんの入社

1973年春、従業員30人に成長した大幸工業に、徳島県の高校を卒業したばかりの只安(ただやす)廣美さんが入社した。1954年生まれの18歳。廣美さんが当時を振り返る。

「徳島県三好市の出身なんですが、高校の先輩に大幸工業の社員がいました。その先輩が、『うちは男気のある会社や。うちに来ないか』と誘われました。面接した浜野社長は、『お前は目が生きてるから、明日から来い』と。面接は10分で終わりました。それから汚泥を最終処分場に運ぶ仕事が始まりました」

貯水槽でポリソイルの原泥を撹拌する
杉本裕明氏撮影 転載禁止

その年、浜野清社長は会社を住之江区平林に移し、ここに建設汚泥の中間処理施設の建設に乗り出した。工場は、砂と汚泥を分けるロータリー式砂分級機、撹拌するシックナーなどをそろえた本格的な中間処理施設。最後に絞って脱水するフィルタープレス機は全国どこにもなく、鉄工所と一緒に共同開発した。廣美さんが語る。

「先代のアイデアは豆腐づくりなんです。ミルクのような豆乳ににがりを入れると固まってくるでしょう。それを布巾(ふきん)で絞る。あれです。にがりというのは、凝集剤のこと。我々も凝集剤として消石灰をつかって、それを絞る。豆腐の製造と、原理は同じです。もちろん、簡単にやれたわけではなく、清社長は随分大学の研究室を訪ねては相談していました。研究熱心さにほだされ、学者も協力してくれます。そんな処理業者は当時、どこにもありませんでした」

大阪ベントナイト事業協同組合を結成し、大阪市から土地を借りた

急増する汚泥の処理に困っていた大阪市から、大幸工業に、他の業者の汚泥を受けてくれないかと打診があった。 受け入れが可能となる中間処理施設を造ってくれるなら、市が南港に所有していた清掃工場の隣地を有償で提供してよいという。公有地を民間企業に払い下げできないが、事業協同組合なら可能だという。

浜野社長は、収集・運搬業者に呼びかけ、応じた7社と、1974年に大阪ベントナイト事業協同組合を設立、浜野清さんが代表理事になった。事業協同組合は、大阪市から土地を取得すると、77年に南港処理センターが竣工(しゅんこう)した。処理センターは、1500平方メートル、総事業費3億円。8時間で250トンの建設汚泥の処理能力があった。

こうして手を広げていったが、脱水した後の脱水ケーキを最終処分場に持ち込み、埋め立てることに、浜野廣美さんは疑問を感じていた。

再生利用・リサイクルの実験プラントを創設

密かに大学を回り、研究者からリサイクルの方法について知識を蓄えていた。ある日、専務に昇格していた廣美さんは、清社長に提案した。

「社長、こんなことをしていたら最終処分場が逼迫(ひっぱく)し、続けられません」
専務になっていた廣美さんは、社長室でひたすら清社長を説得していた。清社長が困ったように言う。
「おまえのいうことはよくわかる。でもな、それにはお金がかかる。泉プラントは造ったばかりや」

廣美さんは、リサイクルがこれからの汚泥の中間処理の中心になると確信した。これまで築いた大学や先進企業からもたらされた情報をもとに、汚泥から本格的な再生品を造る実験プラントを造りたいと考えた。民間事業者の先陣を切って取り組み、軌道に乗れば、大幸工業は大きく飛躍できるはずだ。

熱弁をふるい続けた廣美さんに、ある日、浜野社長が言った。
「わかった。やってみよう」

環境方針決め、泉第3プラントで実験開始

1992年に事業協同組合は、リサイクル化を検討するに当たって

  1. 原材料の汚泥固化物は土壌汚染されていないものを使用
  2. 固化剤は無害であること
  3. 再生品(製品)は無害で二次汚染を起こさない
  4. 再生品は通常土木で施行される資材と同等の物理的性状・化学的性状を具備している
  5. 現在の廃棄コストと同額程度で再生可能であること

の5つの条件を設けた。これは、浜野さんが考案した。今から見ても、リサイクル材に求められる条件をうまく言い当てている。

10億円をかけ、泉第2プラントの隣に泉第3プラントが完成したのは1996年3月。この建設汚泥リサイクル実証プラントでは、汚泥を前処理で水分を調整し、破砕機と篩(ふるい)機で大きな固まりやごみを除去し、さらに磁選機で鉄屑を除き、固化剤のセメントと混和剤のポリビニルアルコールを混ぜる。高炉セメントも安定剤として使う。

大阪ベントナイト事業協同組合の堺プラント(大阪府堺市西区)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

混合した後、破砕機と篩機で決められた粒度に調整し成型、養生し、さらに破砕するとリサイクル石の「ポリナイト」ができあがる。軽くて強度と保水性に優れ、天然石より低コストで、粒径も自由に変えることができる。使い道として建設・土木工事の埋め戻し材や路盤材、基礎地盤の補強などが期待された。しかし、このリサイクル製品を造る装置は国内になく、廣美さんが中心になって、開発できるメーカーを探し回った。

製品認定と購入とは別か 国の仕組みの限界

それに励まされるように、組合は同年、堺市の臨海堺港地区に、コンクリート破砕プラントの「堺プラント」を開設した。泉第3プラントで生産した「ポリナイト」を、使用目的にあったサイズに破砕するための工場だ。

建設汚泥の再利用では、2006年6月、「大和川線シールド建設汚泥リサイクル検討委員会」が設置された。委員長は嘉門雅史京都大学教授。メンバーには国や大阪府、堺市、阪神高速の関係者のほか、汚泥の処理を担う側として、大阪ベントナイト事業協同組合の専務理事、浜野廣美さんは、全国産業廃棄物連合会の建設廃棄物部会委員として入った。

2008年2月、検討委員会は、「(大阪で計画されている)大和川線シールド建設汚泥の再生活用事業計画案」をまとめた。発生した汚泥の一部はシールド路床資材として利用し、残りは再生利用先で中間処理し、埋め立て資材として、大阪市港湾局の第6ポンドの土地造成事業に使うことが提言された。最終処分場などで最終処分するのでなく、有効利用しようというのだ。

約79万立方メートルのうち、約55万立方メートルは建設汚泥処理土として埋め立て材に使い、砂・礫(れき)分の約24万立方メートルは、リサイクル材として有償で売却し、盛砂やドレーン材として使用するとした。

ベントナイト組合は、競争入札で落札した。技術力に加え、同じ住之江区平林地区を本社に持つ大幸グループが、日頃から地区の住民と親しく接し、地域と良好な関係を築いていたことが大きかった。6号ポンドの近くに南港東プラント(1日2320立方メートルの汚泥処理能力)を設置し、2011年2月からフル操業を始めた。

浜野さんの趣味は海釣り。巨大なマグロを釣った時の記念写真と
杉本裕明氏撮影 転載禁止

埋め立て事業は2017年に無事終了した。50億円の契約を無事こなした大幸グループは、公共事業に建設汚泥を原料とする改質土の大量利用という一つのモデルケースを提示することができた。せいぜい数百から数千立方メートルの発注が大半を占める業界の中で、群を抜いた巨大プロジェクトだった。浜野さんが語る。

「処理業者が循環型社会に貢献といったら、適正処理は当たり前。これからは資源循環のための製造業に変わっていかないといけない。製造業になると、製造者責任が発生してきます、そして不良品をつくらないこと。さらに高度な技術が必要とされます。そのなかで、切磋琢磨して、静脈産業が動脈産業に変わっていくのです。うちが、水の中でも固化する流動化処理土の技術を開発したように、よい製品を造るために研究開発を進め、技術力を高めないといけません。製造業として我々は後発で、これからが正念場となってきます。その動きを、国はもっと支援してほしいと切に思います」

杉本裕明氏の著書「建設廃棄物革命」
建廃の優良企業4社の紹介とともに、建廃の実態と問題点が描かれている

技術開発してリサイクル製品を造り、それを工事現場に戻し、再利用してもらう。土を土に戻すこの事業は、まさしく循環経済のお手本である。

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