アラル海の悲劇とは?20世紀最大の環境破壊とは何が起こったのか

アラル海の悲劇とは?20世紀最大の環境破壊とは何が起こったのか

環境破壊は地球上の至るところで行われていますが、その規模は様々です。
しかし「20世紀最大」とまで言われる、大規模な環境破壊があったことをご存知でしょうか。
それは、アラル海と言われる塩湖で起こりました。
アラル海で起こった、20世紀最大の環境破壊とはどのような事態だったのでしょうか。

アラル海とは

アラル海とは、中央アジアに位置するカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖です。
その名前の由来は、モンゴル高原からシベリアあたりに存在したと考えられるチュルク語族の言葉で「島が多い」という意味です。
アラル海の西には、世界一広い湖として知られるカスピ海、南東にはキジルクム砂漠、北にはカザフステップなどが存在しています。

アラル海の面積は、1960年代までは日本の東北地方と同じくらいの大きさがあり、世界で第4位の面積を誇る湖でした。
しかし、次第に縮小してしまい、小アラル海と大アラル海に分かれ、さらに大アラル海がバルサ・ケルメス湖、東アラル海、西アラル海に分かれてしまいます。

なぜ、このようにアラル海が縮小・分裂してしまったのかと言うと、水が干上がってしまったからです。
そして、その干上がった原因こそ、20世紀最大の環境破壊と言われるものだったのです。

消滅するアラル海

アラル海は19~20世紀ころ、漁業が盛んな場所でした。
最盛期は2000人の漁民が船団を組んで漁業を行い、5000人の労働者が魚肉を加工することで、キャビアや缶詰を製造していました。
自然については、アラル海に水を注ぐシルダリヤ川やアムダリヤ川の河口の湿地帯に、ペリカンやフラミンゴなどの渡り鳥が飛来するなど、豊かな土地でした。

それが、1960年代を境にアラル海の水は急激に減り、1970年代には塩分濃度が上昇して魚が取れなくなってしまいます。
小アラル海と大アラル海に分かれてしまったのは、1989年のことでした。
アムダリヤ川の河口部にあった湿地帯も干上がり、植生は砂漠へと変化し、渡り鳥も飛来しない状況となってしまいます。
2000年には塩分濃度が海水の2倍に達し、塩分に強いはずのカレイも死滅してしまうまでの事態となり、漁業が不可能となりました。
湖の上にあった島々は地続になり、細菌兵器の開発の影響により細菌が流出します。
アラル海の周辺の生物は死滅し、漁業も衰退したことで、いくつもの村が廃村となりました。

さらに、干上がった湖底で砂嵐が舞い上がることから、近隣の住民は塩害による健康被害が発生しました。
アラル海がこれほどまでに荒れてしまった原因は何だったのでしょうか。

消滅の原因は無謀な計画

アラル海の環境破壊は、1940年代にソビエト連邦が実行した「自然改造計画」が発端でした。
これは、綿花を栽培するために大規模な灌漑を行うもので、1950年代にアムダリヤ川とシルダリヤ川の水を運河へと流入させました。
それにより、縮小してしまっただけではなく、アラル海はもともと海底にあった地域であったことから、塩分濃度が上がってしまったのです。
湖が干上がった場所には、退避が遅れてしまった船が複数打ち捨てられていたことから、その光景は「船の墓場」として有名になりました。
この状況は、当時の灌漑設備や排水方式などの計画があまりに無謀だったことで起きた悲劇だと考えられています。

湖の水を失ったことで、この地域は気候が変動し、夏はより暑く、冬はより寒くなってしまいました。
植物や魚が失われてしまった他にも、塩分や有害物質を含んだ砂嵐が舞い上がり、周辺住民の健康被害は深刻です。
アラル海の問題は、自然への配慮が足りなかったために、大きな環境破壊が起きて、多くの人々も被害にあった環境破壊だと言えるでしょう。

アラル海の再生

アラル海の再生については、1980年代から行われていましたが、上手く行ったと言える計画はありませんでした。
しかし、2005年に建設された全長13キロメートルに及ぶコカラル堤防の完成により、小アラル海の水位が上昇しました。

この成功により、第二の堤防を建設する計画もありますが、これには賛否が分かれています。
アラル海は再生のために様々な取り組みが行われていますが、困難であることが予想されています。

一度失ってしまった自然を取り戻すことは、大変なことです。
私たちはアラル海のような悲劇を繰り返さないためにも、環境に配慮した生活を心がけるようにしましょう。

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