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何でも捨てられる「ダストボックス」を廃止した東京・府中市の理由―高リサイクル率化の課題は生ごみと廃プラ対策―(中)

何でも捨てられる「ダストボックス」を廃止した東京・府中市の理由―高リサイクル率化の課題は生ごみと廃プラ対策―(中)
多摩川衛生組合の焼却施設
稲城市 組合のホームページより

何でも捨てられるダストボックスは便利でいい。そんな便利さに慣れきっていた東京・府中市。こんな府中市に黒船が現れ、冷水を浴びせたのである。

江戸時代末期、軍艦を率いた米国のペリー提督が江戸幕府に開国を迫り、恐れおののいた幕府が受け入れたように、府中市にも黒船がやってきた。多摩川を挟んだ北隣の稲城市であった。

ジャーナリスト 杉本裕明



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何でも捨てられる「ダストボックス」を廃止した東京・府中市の理由―高リサイクル率化の課題は生ごみと廃プラ対策―(上)

周りの市は、ダストボックスを廃止し、ごみ袋の有料化に踏み切っていた

府中市のごみの大半を占める可燃ごみは、小金井市、国分寺市、府中市で構成する二枚橋衛生組合の焼却施設と、稲城市、府中市、国立市、狛江市と構成する多摩川衛生組合の稲城市にある焼却施設で処理されている。

ところが、二枚橋衛生組合は老朽化とその後の建て替え計画について3市の意見がまとまらず、2004年に組合の議会が組合解散を決議。2007年3月に焼却施設は稼働を停止した。府中市は、それまで二枚橋衛生組合に持ち込んでいた2万トンの可燃ごみは、2007年4月に多摩川衛生組合の建て替えたばかりの焼却施設が引き取ってくれるとばかり考えていた。

石川稲城市長の重い言葉

だが、その前に、稲城市の石川良一稲城市長は、野口市長にこう言い渡していたのである。

「お宅の市は、他の市がごみ減量に取り組んでいるのにやっていないじゃないですか。他市がやっているダストボックスの廃止、ごみ袋の有料化、戸別収集の3点を実行しないなら、新たな可燃ごみは受け入れません」

多摩川衛生組合の焼却施設は稲城市にあり、組合の理事長は石川市長だった。当時、石川市長は、筆者にこう語っている。

「府中市はごみが増え続けている。ごみ減量に取り組んでいる他の市の手前、これでは困るんです。『稲城市など組合の構成市がやっている3点を実行しないなら受け入れない』と言って、実行することを約束させたんです」

野口市長は真っ青になった。受け入れてもらえなかったら、ごみが街中に溢れ、大変なことになる。その後の交渉の末、二枚橋に持ち込んでいたうち8,000トンだけを多摩川衛生組合が引き受け、残りの分は、府中市が埼玉県寄居町に焼却施設を持つオリックス環境など民間業者に委託し、処分してもらうことになった。

それでも、これでは可燃ごみの焼却施設の建設計画でもめている小金井市と同じようになってしまう。

府中市の方向転換

市は、石川市長が突きつけた3点の実施に向け、走り出した。しかし、手続きとしては、審議会で議論し、ダストボックスの廃止、有料化、戸別収集の3点の実施を答申として市に提出せねばならない。審議会はそれまで、ダストボックスの堅持を謳っていたから、晴天の霹靂だった。

2006年2月の審議会で福田清春議長が「ダストボックスの利点や欠点を踏まえて、ダストボックスを維持していくためにはどのようにしたらいいんだという意見がいただければと思います」と語り、議長を除き14人の委員のうち、多くは「ダストボックスを維持しながら減量するために有料化できないかを議論した方が現状にあっている」「ダストボックスを外から見えるようにすればよい」などの意見が相次いだ。明確にダストボックスの廃止を唱える委員は2人に過ぎなかった。

ところが、2006年4月の審議会から市は、有料化の話を持ち出し始め、6月には、周りの市が有料化を導入しているとして調査結果を提出、審議会で環境安全部次長が述べた。

「有料化については日野市が非常に成功している。有料化とダストボックスの廃止を同時に行い、市民と何度も議論を重ね、市民も反対している市民の説得にあたった。府中市も日野市の事例を参考にすべきと考えています。市民の方々のご理解を得ながら、市民運動として有料化・ダストボックスの収集方式の変更に取り組むことで、意識を喚起するきっかけとなり、ごみ減量につながるのではないかと考えています」

府中市の事務局は、周辺市では、ごみ袋の有料化に伴いダストボックスを廃止していることから、ごみ袋を有料化の議論から入った方がダストボックスの廃止の議論にスムーズにつながると踏んでいたようだ。

起草委員会立ち上げ、1回で、3点を掲げた答申素案作成

これを受け、福田議長が「審議会の方向としては、ダストボックスを使いながら有料化ではなく、(ダストボックスの廃止による)個別収集・有料化で出さざるを得ないだろうと個人的に考えています」と発言したが、他の委員の多くは「現在のダストボックスを活用するのが大前提」「ダストボックスをなくしても意識が改善されないとごみは減らない」などと、なお、存続派が大半を占めていた。

起草委員会立ち上げ、3点の実行盛り込み、決着

審議会では、なお、ダストボックス堅持派の委員が多数意見だった。そこで、議長が、起草委員会を立ち上げ、そこで原案をつくる方法を提唱し、委員らの了解を得ると、案作りを委員会に委ねた。

委員は、福田議長のほか、ダストボックス廃止派が1人、存続派が1人、中間派が2人。起草といっても、委員会は東京農工大学で1回開かれたきりだったから、市がたたき台を出したことは想像に難くない。

2006年8月、答申骨子案が審議会に報告された。「解決策」として、「ダストボックスの廃止、有料化、戸別収集」の3点の導入を提言していた。これまでダストボックスの存続を訴えていた委員から異論は出なかったが、15人のメンバーのうち7人が欠席する異例の審議会だったから、それまでダストボックス堅持を訴えていた市の突然の「急旋回」に疑問を持つ委員がかなりいたということだろう。

府中市にかつてあったダストボックス。住民は「いつでも出せる」と便利さを評価していた
府中市の当時の公表資料より

結論は理にかなっていた。もし、ダストボックスを堅持するなどという答申をまとめていたら、稲城市は、約束を破ったとして、搬入拒否の行動に出て、府中市はごみが溢れてしまったことだろう。

石川市長がごみ受け入れの条件として出した「ダストボックスの廃止」「ごみの有料化」「個別収集」の3つは、2007年1月、市長に提出された「資源循環型社会の構築に向けた収集方法のあり方について」と題する答申に無事盛り込まれた。

審議会の委員らもごみの知識のある委員も詳しくない委員も熱心に議論を行ったことが、当時の議事録から読み取れる。施策の方向転換をする時には、市も委員らも熱い議論を行うものなのだ。

市議会議員らの抵抗で、実施は1年延期された

実は、答申がまとまる直前に、市は市議会の全員協議会で、2007年度予算に盛り込み、2008年度から3点を実施したいと説明していた。ところが、議会から「聞き置く」と抵抗され、市は2007年度の予算化を断念、実施時期を1年延期せざるを得なくなった。

府中市は、重要なことは、建設環境委員会協議会、全員協議会という「密室」で議員と協議し、そこで方針が決まることが常態化していた。しかも、議会の本会議や委員会と違い、市民の傍聴は許されない。密室で何事も決めてしまおうというのである。

議会の大半の議員が、ダストボックスの撤去等、ごみ改革に抵抗していたことを、市民は知るよしもなかった。これでは、公開の場で議論するという議会の目的が果たされず、市民は市と議会をチェックできない。

しかし、この時、市は実施を断念したわけではなかった。稲城市長の約束を守らないとごみを受け入れてもらえないかもしれないという危機に市は立っており、市議会の抵抗に負けるわけにはいかなかった。

審議会で、再度、3点の実施を答申にまとめ、意思を伝えた

市議会議員らの抵抗で2008年度からの導入時期を1年延期せざるをえなくなっていた市は、導入に向けた決意を示す意味でも審議会から再度、答申をもらう必要があった。

審議会の進行に合わせ、市も市民の意向を調査した。市は、これまで8割の市民がダストボックスの存続を求めているとした過去のアンケート結果に代わるものとして、2007年夏に新たな市民意見を求め、119人の意見をまとめた。市は審議会で内容を披露し、「有料化、個別収集、ダストボックス撤去に関し、全面的及び部分的に賛成の意見がかなり多く見受けられる。反対という意見は少なめでございます」と説明した。また、市民2,000人に郵送したアンケート結果(回答1,004人)も報告された。

回答者の68.2%が「ごみ減量・リサイクルに有効」と回答、ダストボックスの問題点として、49.5%が不法投棄・越境投棄の発生、46.3%が「いつでも誰でもごみを捨てられてしまう」、反対に「よいと感じる点があるか」との問いには83.2%が「いつでもごみを捨てることができる」と回答した。

直接、ダストボックスの廃止の賛否を尋ねるアンケートでなく、いい点と悪い点を聞くだけの質問だったことに、ある委員は「必要としているのか、しないのか」と批判し、福田議長が「(ダストボックスを堅持してごみ減量を進めるとしてきたが)原状はとてもそうはいかない。その認識にたって」と釈明する場面もあったが、前の審議会の答申を覆すような意見は出なかった。

審議会では、有料化に際し、ごみ袋の料金を1リットル当たり2円(10リットル入るごみ袋なら20円)と他市の前例をもとに高額に設定した。「資源循環型社会の構築に向けた新たな収集方法のあり方について」と題する答申は、福田議長から2008年5月、野口市長に提出された。それを受け、市は同年暮れ、建設環境委員会協議会で、2000年2月からの導入・実施を説明、12月の定例議会で、野口市長が正式に表明した。

なお、抵抗する市議会議員たち

それでも議員には不満が残ったようで、定例議会で市を問いただす意見も出た。

小野寺淳(市政会)「なぜこの時期を選択して、これまでの3点セットの見直し案の提案に踏み切ったのか。平成22年2月1日完全実施を先に、途中の議論もなく決定したのか」

重田益美議員(生活者ネットワーク)「何をもって合意を得られたとするのか、特に有料化については、市が理由とする『ごみの減量につながる』という根拠は不明確。なぜ有料化しなければいけないのか十分な説明がない」

西村幸一議員(民主党)「市民生活に直接かかわる重大案件では、市民の意見を広く、丁寧に聞き、市民との対話を重ねながら方針をまとめるのが当然」

与党会派も野党会派も「ごみ改革」に協力的ではなかった。市民が傍聴し、チェックできる議会で、この問題では熱い議論は行われず、議会はこの重要な問題を放棄したも同然と言えよう。代わって公開で熱い議論を展開したのは審議会だけだった。市は2010年2月、3点の完全実施に踏み切った。すると、府中市の家庭ごみは急激に減り始めたのである――。

ダストボックスをなくしたら、ごみが急激に減り始めた

ダストボックスをやめ、個別収集に代わると、一戸建て住宅は、自宅の前に袋を出さねばならなくなった。市の委託する業者が収集する際、異物が多ければ、収集してもらえず、「これは収集できません」と書かれた紙を貼り付けられた。近所の手前、恥ずかしいことだ。

数十軒ごとに、一箇所の集積所に持ち寄る「集積所方式」に比べ、収集費用は高くなるが、府中市の場合、ダストボックスの管理と収集にかなりの費用がかかっていたから予算は逆に減った。

しかも、異物が少なく、リサイクルしやすいごみが集まりやすいので、リサイクル施設で分別にかかる費用も減る。老人世帯が増え続ける中、遠くの集積所に歩いて持って行くことが困難な人もいて、全国的に戸別収集が増えているのもうなずける。

市の職員は言う。「いまでもアパートやマンションには、自前のダストボックスがあります。特に単身者の多い建物は、異物が混じる確率が高い」。

筆者の自宅の近くにマンションがあり、その前にマンション管理者が設置したダストボックスがあった。その前に、プラスチック容器包装のオレンジ色のごみ袋が三つ並んでいた。黄色のラベルには「回収できません」とあった。袋を見ると、容器プラでない、プラスチック屑や紙屑が詰まっていた。筆者が見ていると、マンションの管理会社の職員が、その写真を撮って回収し、車で運び去った。改めて分別し、出し直すのだろう。

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