日本自然保護協会参与・横山隆一氏 インタビュー(下)

日本自然保護協会参与・横山隆一氏 インタビュー(下)

 前回に続き、自然保護協会の横山氏のインタビューをお送りします。

 第三回となる今回は、エコツーリズム、ダム問題の代表格として知られる川辺川ダムと徳山ダム、沖縄・やんばるの取り組みについてお話いただきます。

日本でのエコツーリズムとは

 杉本裕明:最近、エコツーリズムが広がりつつあります。自然保護協会も熱心だと聞きました。

 横山隆一:私たちが力を入れている運動の一つです。エコツーリズムとは、もともとは南米や中米の自然保護区を作るためのエコツアーのガイド・システムを持つ、経済的自立手段です。80年代に国際会議で話し合われていた、自然保護地区を作ったり、地域の人々がその環境を守りつつそこで生きるためのお金をどうやって作るか、ということが出発点になっています。自然を使ってお金を稼ぐ方法は、例えば森を切ってバナナ園にして、人手に渡すという方法があります。しかし、これではお金を生み出すチャンスは1回だけですし、何より自然そのものが失われてしまいます。それより、自然豊かな森にエコ・ツーリストとしての行動をわきまえた観光客を案内することで収益を得て、自然保護区を作るための資金にすれば、お金も入るし、自然も失われることはありません。こういったエコツーリズムは、90年代の最初の頃に中米のコスタリカやエクアドル(ガラパゴス)で始められました。

杉本:欧米でなく、むしろ、経済的に豊かとはいえない中米で始まったところが、面白いですね。

横山:私たちもリゾート法の開発計画に反対しながら、自然を守りながら、そのための資金が得られるエコツーリズムの研究を進めていました。それが、赤谷プロジェクトと言われる計画につながります。赤谷プロジェクトの舞台となっている赤谷の森は、群馬県と新潟県の県境の利根川源流にあたる国有林です。ここはかつてリゾート法の重点整備地区に指定され、大規模スキーリゾート開発が行われる予定でした。また、この地域には国交省関東地方整備局が直轄の川古ダムを造る計画もありました。2000年までかかって保護運動を続け、これらの計画は中止になりましたが、その後、伐採することなく国有林を活用する方法がないのか、という話が出てきたのです。

そこで、赤谷の森を管理する関東森林管理局と群馬県新治村(現みなかみ町)の村民の方々に「赤谷の森を修復するとともに、国有林の現代的な活用方法を探す場所にしませんか」と持ちかけました。当時の新治村も当初は各種開発の促進の主体でしたが、自然を守りながらお金が入るならと歓迎の立場に変わりました。ふるさとの自然の復元や保全と、温泉地でのエコ・ツーリズムの場づくりの試みが受け入れられ、プロジェクトが始まりました。

みなかみ町の付近に位置する至仏山
横山隆一氏提供 転載禁止

地域の自然観察指導員がガイドになり、観光客が森を楽しむ。そういう小規模なエコ・ツアーを2003年に始めました。地域から受け入れられ、15年以上続いています。私もこのインタビューを受ける前日まで岐阜県高山市の五色ヶ原という場所にいましたが、ここでも同じことをやっています。北アルプス乗鞍岳山麓にある五色ヶ原の森は、市の条例によってガイドなしでは入れないことになっています。ガイドをお願いすると一人1日9000円。去年は2万人のお客さんが来られたといいます。システムの運営経費を賄うと共に、26人のガイドがこの収入を生活の糧としています。

川辺川ダムと徳山ダム

日本最大の貯水量を誇る徳山ダムの建設現場
ダンプカーや重機が動き、山肌を削り、川底を掘っていた
2003年11月 岐阜県揖斐川町 杉本裕明氏提供 転載禁止

杉本:長良川河口堰が大きな社会問題となり、当時の建設省は環境保全に力を入れ、住民との対話も重視するようになりました。自治体や住民の抵抗で、国土交通省がダム建設を断念した一つが、有名な川辺川ダムです。私も横山さんと一緒に現地入りし、クマタカの観察をしたことがありました。

横山:そうでしたね。私は、いろんなダム計画に関わってきました。その中で、建設省も計画を見直し、かなりの数のダム建設計画をやめました。しかし、建設省が建設にこだわったダムが三つありました。八ツ場ダム(群馬県)、徳山ダム(岐阜県)、川辺川ダム(熊本県)です。建設省がダムの見直しをしたとき、三つとも工事用の道路の整備や水没地にある住民の移転は終わっていましたが、本体工事には入っていませんでした。中でも川辺川ダムの進捗は三つの中で一番遅かった。道の付け替え工事が始まったばかりで、川の自然性は落ちていませんでした。だからここは何としても死守したかったのです。

川辺川ダム計画は、60年代に構想が公表された頃から揉め続けていました。構想のきっかけは、1950年代巨大台風に何回も襲われ、川辺川が流れ込む球磨川が何回もあふれ、被害を出したことです。台風による水害を防ぐために上流にダムを造ったのですが、それで洪水がなくなったわけではありませんでした。住民は「ダムが増えてから水害が大きくなった」と言っています。ダムができる前は、雨が降ると徐々に水位が上がり、雨が止むと徐々に水位が下がります。しかし、ダムができると、ダムはしばらく雨水をためることができますが、貯水能力を超えると、ダムが壊れないよう放水してしまいます。すると、その分、川の流量が一気に増え、水害をもたらすというのが、住民の主張です。一方、国は否定しています。この問題は70年代から80年代にかけてずっと争点になっていました。

杉本:私も当時、人吉市を訪ね、建設に反対している旅館の主人から話をうかがったことがあります。「上流にダムがいくつもできてから、洪水の被害が大きくなる一方です」と言って、水がついた写真を見せてもらったことがあります。住民の実感としてあったのでしょうね。

横山:そうですね。でも、結局、1996年に川辺川ダム予定地の相良村と五木村、熊本県と建設省の間で、ダムをつくることが決まってしまいました。

それでも、私は、川辺川ダムの建設を止めるチャンスはまだあると思っていました。県知事を変える、村長を変える、五木村の人が引っ越したとしてもダムの着工を認めない。質の高い川を持つことの現代的な価値の社会としての共有。そして、アユを獲る人たちにこの川のアユの価値を再評価していただき、漁業権を安売りなどしないこと。現地に入って、そんなことを提案しました。そして、川辺川ダムにどんなデメリットがあるのかを、世の中に伝え続けました。

この時も、流域の希少大型猛禽類に着目しました。調べてみると、川辺川ダムの上流にあたるいくつもの谷にそれぞれ絶滅危惧種のクマタカが住んでいることがわかりました。ただし、繁殖成功率は高くなく、子育てできているペアの保護は重要でした。さらに、川辺川は、「尺アユ」と言われるまで育つ大きなアユを育てる力を持つ川でした。普通、アユは他で養殖した稚魚を放し100~200グラム程度の重さで収獲する一年魚ですが、川辺川のアユは遡上してくる天然もので、秋には500グラムを超えるものが獲れていました。33センチを超えるものは尺アユといわれますが、それまで四万十川が有名でした。四万十川にも100匹に1匹ぐらい、細長い尺アユがいます。ところが、川辺川の尺アユは体高も高く、太っていて、まるでサバやコイのようです。さらに100本に1本ではなく、時期になると毎晩のように獲れる。この川のアユの養育力は、まぎれもなく日本一だと思いました。

良いアユがいて、クマタカがいて、良い川がある。そんな場所を日本中からピックアップして、一斉にダムの建設を中止するように主張しました。その後、地元自治体が反対に転じ、民主党政権の時に、白紙の方針が打ち出されましたが、球磨川の河川整備基本計画には、川辺川ダムの建設計画が残っており、この問題が終わったわけではありません。計画が白紙になるまでは至っていないのです。

杉本:協会は地元の団体と一緒に運動を続けましたが、2000年代に入って状況が変わってきました。まず、塩谷義子知事が住民討論会を開き、問題点を明らかにしました。これが大きかった。地元の人吉市や相良村が反対に転じ、塩谷さんの後釜に座った樺島郁夫知事が、それを見て白紙撤回を表明しました。そして民主党政権の中止の方針表明――。しかし、横山さんの言う通り、川辺川ダムの整備を盛り込んだ国の球磨川の整備計画は変更されないまま、現在に至っています。なお、不安定な状態が続いているといってもいいかもしれませんね。

徳山ダムの話に移りましょう。水資源機構が揖斐川の上流の揖斐川町に造ったダムで、6億6000万トンの全国一の貯水量を誇ります。かつて建設省が行ったダム計画の見直し作業の遡上に上りましたが、結局、GOサインが出て工事は続行、2008年に完成してしまいました。せっかく貯めた水の使い道がないところは、長良川河口堰とそっくりです。しかし、環境保全という点では進展もありました。

横山:徳山ダムに関わろうとしたのは2000年代に入ってからで、本体はすでに完成してしまい、湛水試験の直前でした。しかし、その直前になって、水資源機構が行った自主的な環境影響調査で、集水域にイヌワシが少なくとも2ペア、クマタカが10ペア以上生息していることがわかりました。ダムが稼働する前に、イヌワシやクマタカの生活環境の保護施策が完備していないと困ります。そんな主張を掲げ、水資源機構と交渉しました。やりとりが5、6年続いたと思います。

水資源機構がとった保護策の中で、一番のポイントは、集水域の上流の森を村や町、県から全部買い取ったことです。それによって上流の森は観光開発や資源利用をしなくなり、本来の森を取り戻せるようになりました。これは初めてのことだったかもしれません。

今年は、堤体工事が始まってからちょうど25年目にあたります。あのイヌワシとクマタカの繁殖成績がどのように変化したのかを検証し、共同報告書を作ろうと、水資源機構に提案しているところです。

沖縄列島を世界遺産へ

やんばる中核部・伊武岳南西部
横山隆一氏提供 転載禁止

杉本:沖縄といえば、辺野古の空港計画がホットですが、北部にはヤンバルクイナで知られるやんばる地域もあります。横山さんは90年代後半から、奄美や沖縄の保護のあり方を考える環境省や林野庁の検討会の委員にもなって、仕組みづくりを提案してきました。

横山:やんばるは、長年取り組んできた案件の一つです。私たちは、特殊な自然を大規模で守るために、その自然を世界遺産に指定させて守ることを目標に掲げ、活動してきました。最初に取り上げた白神山地、そして屋久島(鹿児島県)、知床(北海道)、小笠原(東京都)といったところがあげられます。日本の中で、これらの他にも世界遺産になるポテンシャルを持っているのが、奄美諸島と沖縄列島です。これに屋久島も含めて、西南諸島として世界遺産に登録することを環境省に要望してきました。

沖縄で重要な場所が二カ所あります。一つが西表島の広大な森。もう一つが、やんばるのシイの森です。この二カ所の森が保護の対象の中に入っていなければ、世界遺産にする価値はありません。西表の森林は、2017年に民間会社と国有林との林業用の長期契約を終了させられたため、森林生態系保護地域を2万ヘクタール弱から西側に拡大し、2万2000ヘクタールにすることに成功しました。やんばる地域は、米軍の訓練場がかかっており、米軍から返還地が戻っているのを待っていました。2017年に返還されてから、林野庁の検討会で自然林の中核部3000ヘクタール強を森林生態系保護地域に指定することができました。また、16年にこの周辺の民有林地を環境省が国立公園にしたので、セットでやんばるを守るための最低条件が整うことになりました。

杉本:両方とも訪ねたことがありますが、独特の自然ですね。西表島は川沿いにマングローブの林が広がり、ここが日本かと、圧倒されたことを覚えています。

横山:奄美大島と徳之島の国有林も森林生態系保護地域に指定されています。それなら、奄美大島、徳之島、やんばる、西表島の森林をつなぐことで、「沖縄世界遺産」となる可能性があるのではないでしょうか。2018年に申請したものの、指定地や保全の仕組みが不十分なことから自然遺産は取り下げられていましたが、19年2月に再申請できました。

やんばるは、1985年に東北で原生林保護運動を始めたころからの目標でした。35年も活動し続けていると言えます。僕が自然保護を始めてから40年になりますが、始めたころから目標にしていたことが、ついに達成されるかもしれません。

杉本:政府は「奄美大島、徳之島、沖縄本島北部および西表島」を世界自然遺産にするようユネスコに申請していましたが、登録機関であるIUCNから登録延期の勧告が18年に出されました。でも政府は諦めず、2020年に再登録の申請をすると言っています。横山さんの悲願でもある世界自然遺産が実現することを私も願って、このインタビューの締めくくりとさせていただきます。

横山隆一氏のプロフィール
(公財) 日本自然保護協会参与。89年保護部部長、2000年から2014年まで理事。猛禽類の専門家で、環境省、林野庁など国の検討会の委員などを歴任。日本イヌワシ研究会副会長、奥利根自然センターの代表も務める。近く、昭和の終わりから平成にかけての自然保護運動の成果と方法論をまとめた「NGOが作った平成の自然保護運動(仮題)」の刊行が予定されている。
杉本裕明氏のプロフィール
朝日新聞元記者。環境分野全般に精通し、著書に「にっぽんのごみ」(岩波新書)、「環境省の大罪」(PHP研究所)、「赤い土・フェロシルト―なぜ企業犯罪は繰り返されたのか」(風媒社)、「環境犯罪―七つの事件簿(ファイル)から」(同)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、講演活動などもこなす。

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