セーヌ川で大腸菌騒動起きた理由 パリ五輪のトライアスロン 下水道の構造にも問題が
パリ五輪のトライアスロンの舞台となったセーヌ川。5日の混合リレーでドイツが初優勝し、全種目を終えたが、大腸菌感染症の疑いでベルギーの女子選手が病院に担ぎ込まれたり、各国選手がレース環境に苦情を申し立てたり、懸念を表明したり、トラブルが続きました。
問題は、スイム競技会場となったセーヌ川に含まれる大腸菌の多さでした。水泳が禁止されている大阪・道頓堀の方がはるかにきれいとの指摘があり、ここを会場にしたオリンピック委員会の判断に疑問の声がなお続いています。
パリ市は、汚水がセーヌ川に流れ込まないように巨大な貯水施設を設置しましたが、効果は限定的でした。調べて見ると、雨が降ると大腸菌数が激増するのは、雨水と汚水を同じ下水道管で流す「合流式」であるからだとわかってきました。
ジャーナリスト 杉本裕明
健康障害起こす大腸菌
人の体内に生息する腸内細菌の大腸菌のうち、病原大腸菌は下痢や腹痛などを起こす。人が感染するのは、汚染された飲食物を摂取したり、動物を含む感染者の糞(ふん)便に含まれた菌を誤って摂取したりしたことによる。厚生労働省によると、2012~2023年は年10~40件、278~6,314人の患者が発生している。原因場所は飲食店、仕出し屋、製造所、事業所の順で、海や川で泳いでいて感染したかは統計ではわからない。いずれにしても主に食品の摂取で感染していることがわかる。
一方、腸球菌(ヒトを含む哺乳類の腸管内に存在する常在菌のうち、球菌の形態をとる)は、大腸菌より加熱や冷凍に対する耐性が強く、日本では食品衛生法の清涼飲料水(ミネラルウォーター)の基準(検出されないこと)が定められているが、水質の基準はない。パリの委員会は、大腸菌数はクリアしたが、腸内菌は最大許容値を超えたとしている。これまでの現地からの報道を見る限り、最大許容値は明らかにされていない。
大腸菌数の規制値は適正か
一方、世界水泳連盟の水質基準では、大腸菌の最大許容値は100ミリリットル当たり1,000個以下、腸球菌は400個以下。大会では、これが基準になっているようだ。また「ワールドトライアスロン」(スイス)はセーヌ川などの「内陸水」について、100ミリリットル当たり大腸菌の数を500個以下としているという。
大会組織委員会はセーヌ川の水質が基準を満たさなかったとし、7月28、29両日の公式練習を中止し、30日予定の男子の競技を延期したのをはじめ、8月7日までに5回の訓練が中止になった。現地の報道によると、大腸菌数が2,000個に達した日が何回もあった。
被害訴える選手が続出
被害も出た。ベルギーの国内オリンピック委員会は、トライアスロン女子に出場したクレア・ミシェルが体調を崩し棄権すると発表した。
「今後の五輪における教訓となることを望む。(運営側は)選手らに不安がないようにしなければいけない」
スイスも、トライアスロン男子に出場したアドリアン・ブリフォが「胃腸感染症を患った」と登録選手を変更した。
道頓堀川より数倍以上汚い?
幾つかのメディアは、かつて水質汚染で知られた大阪市の道頓堀川の数値と比べ、道頓堀よりセーヌ川の方が汚いと指摘している。そこで、大腸菌について、セーヌ川と道頓堀川や全国の水浴場の数値と比べてみよう。
日本では公共用水域の環境基準があり、河川はAA、A、B類型に分かれ、大腸菌、BOD(生物酸素要求量)、SS(浮遊物質)などの各項目で達成することを求めている。大腸菌を見ると、少ない順に、AA類型(水道1級)は、100ミリリットル中20個以下、A類型(水道3級、水浴)は同300個以下、B類型(水道3級)は同1,000個以下となっている。水浴はA類型とされているが、これは米国環境庁(EPA)が水泳者の胃腸疾患と罹患率から求めた大腸菌数300に倣ってA類型にしたと言われる。
ちなみに道頓堀川は、大阪市の調査によると、2022年道頓堀川(大黒橋)で7月21日91個、8月24日が150個。10月12日は720個と多い。10月が多いのは雨の影響で、屎尿の処理水が混じったからと思われる。世界水泳連盟は、現地の報道では、例えば「8月5日の午前5時から6時の間に4か所で行われた水質調査の結果、大腸菌のレベルが326から517(『非常に良い』から『良い』)であることが示された」と説明し、少し雨が降ると、許容基準の2,000個になってしまうとの報道がある。
大阪 北区にある日本分析化学専門学校は、道頓堀川の濁りや細菌数などを2004年から調べている。日本分析化学専門学校の講師の宮道隆さんが言う。
「前年の2003年に阪神タイガースの勝利を喜び、道頓堀川に飛び込むファンのことが話題になり、川の汚染を懸念した学生たちが自主的に調査を始めたのがきっかけです。四季を通じて調べていますが、例年大腸菌は1,000個を超えることも多く、水質が大幅に改善されたわけではありません」
検査方法変えたことで大腸菌の数値が下がった
大阪市の調査結果と比べて高い傾向にあるのは、検査方法の違いによると思われる。今回のフランスや日本の環境省・自治体は、寒天に大腸菌を含んだ川の水を、濃度を変えて加える。さらに栄養分を与え、培養する。
すると大腸菌が増殖し、幾つか集まり、塊をつくる。その数を数え、比べたものだ。CFU法と呼ぶ。大腸菌が集まった塊の数を数えるので、実際に存在する大腸菌の数より、少なくカウントされがちだ。
専門学校の継続調査では、道頓堀川も水浴に不適
一方、日本分析化学専門学校の方式は、NPNと呼ばれ、試験管で大腸菌を含んだ川の水を試験管に入れる。大腸菌の活動が活発になり、増殖していくとCO2を排出する。それを小さな試験管にため、CO2が溜まった試験管の数を測り、確率的統計的手法で大腸群の数を求める。
道頓堀の場合、環境省が測定方法を2019年にNPN法からCFU法に変更し、自治体がそれに倣った。大阪市は、2022年から実施し、道頓堀川ではそれまで2,000個を超えることもままあった数が激減した。
しかし、B類型が変更され、A類型になるわけではない。大阪市環境局環境管理課は「BOD(生物的酸素要求量)など他の指標が改善したわけではありません。もちろん、道頓堀川ははるか前から遊泳禁止で、これは代わりません」。大腸菌数が少なく表示される傾向の強いCFU法が採用されたセーヌ川の汚染の状況がわかろう。
ちなみに厚労省が決めたプールの基準は「大腸菌が検出されないこと」と厳格だ。そもそも、この環境ではスイムのトライアスロンをセーヌ川で行うことには、相当の無理があったのではないか。
日本の水浴場はずっときれい
環境省は毎年、全国の「水浴場の水質調査結果」を公表している。ふん便性大腸菌群数、油膜の有無、化学的酸素要求量(COD)、透明度の判定基準があり、「適(水質AA大腸菌は不検出、水質A 同100個」、「可(水質B 同400個・水質C1,000個)」、「不適」(同1,000個超)にランクづけしている。
調査した759の水浴場で、「不適」はなく、良好な水質の「適」(水質AA又は水質A)にランクされた水浴場は613か所。全体の81%を占めた。良好な水質である水質AAの水浴場は429か所。全体の57%だった。
2000億円かけて貯水施設を設置したパリ市
パリを流れるセーヌ川は長く水浴が禁止されていた。しかし、大会組織委員会は、セーヌ川をパリ五輪のレガシーにしようと、セーヌ川での開催の計画を進めた。水質汚染のため、このままでは基準をクリアできないため、2,000億円かけ、5万立方メートル規模の貯水施設を建設した。大雨の時に下水を溜めてセーヌ川に流さないのが目的で、深さ34メートル、貯水量は4万8,500立方メートルの巨大な貯水槽だ。
5月、13区のオステルリッツ駅横に貯水施設が供用を開始し、7月17日にはイダルゴパリ市長が自ら泳いで安全性をPRしていた。しかし、動かして見ると施設の効果は限定的で、解決にはほど遠かった。
日本の海水浴場のワースト1は、セーヌ川より何倍もきれいだった
ちなみにダイヤモンド編集部が環境省のデータを使いふん便性大腸菌群数の多い海水浴場のランキングを発表しているが、2024年のワースト1は、寺泊中央(新潟県長岡市)で180個数。2位が片貝(千葉県九十九里町)で180個、3位は内浦(千葉県鴨川市)で160個。9位の丈萩(奈良県曽爾村・淀川)で89個と100個を切れる(9位は河川、他は海)。
ワーストといっても、8位まではBランクの400個未満。9位以降となると、Aランクとなる。水浴の基準はふん便性大腸菌群数で、フランスと日本は採用している検査方法が違い、単純に比較はできないが、それでもおおよその傾向を見ることはできる。まるで状況が違うことがわかるだろう。
19世紀末に整備されたパリ下水道の欠陥
セーヌ川の汚染はパリ市民が排出する生活排水が主な要因だが、晴れた日には基準をクリアしていても、雨が降ると大腸菌の数が激増する悪循環に悩まされてきた。
実はこれは、パリ市の下水道の構造にも原因がありそうだ。パリ市の下水道は19世紀末につくられ、汚水と雨水が同じ管に入る「合流式」だ。下水は郊外の汚水処理場に流されて処理される。雨水が少ない時は流入量が少ないので処理できるが、雨が降ると、能力を超え、雨水に混じった汚水がセーヌ川に流れ込む。
これを防ぐには、下水管を雨水と汚水に分けて敷設する「分流式」にすることが必要だが、巨額の費用がかかる上、建物がたち並び、狭い道路の地下を工事するのは難しい。
これは、日本の大都市も同様で、同じ悩みを抱えている。東京都の区部は、「合流式」が82%を占める。後から下水道を整備した多摩地域では南部と西部を中心に、半分程度が「分流式」となっている。東京都の自治体は都の流域下水道が主体なので、「合流式」の比率が高くなっている。隣の横浜市でも「合流式」が60%を占める。
国の調査では、全国の下水道の84%が「分流式」だ。これは近年になって下水道の整備が全国的に進み、環境に優しい「分流式」が採用されたことがわかる。パリ首都圏(イル・ド・フランス)を構成する各自治体は、セーヌ川にさらに貯水施設を増設し、汚水の流入を防ぐという。「分流式」への変更が難しい中、どこまで水質改善が進むだろうか。