自然と共生するためには?NPO法人地球守代表理事・高田宏臣さん(下)
最終回である今回は、新型コロナウイルスのパンデミックから、自然に対する考え方までお聞きしました。
コロナショックに対する考え方は
――新型コロナウイルスに対してはどのようなお考えをお持ちですか。
一般的に、コロナウイルスが発生したから退治するというのは違う気がします。
人間の体自体、100兆個の微生物の集合体です。その100兆個の微生物、菌類、ウイルスが絶妙なバランスで生命を維持しています。
しかし、今コロナウイルスの対策から室内や体を念入りに消毒しますよね。すると、たった一個のコロナウイルスを退治するために、身体にいるほかの微生物や菌類まで殺してしまいます。
少なくとも一時的には人間の身体の微生物バランスを壊してしまいます。仮にコロナの特効薬ができたとしても、次にまた健康を侵す新たなウイルスが発生し、毎年同じような問題が次々と引き起こされるのではないでしょうか。
人間の腸内には、大量の菌類微生物バクテリアが共存して食物を分解して体内に取り入れています。その数は100兆個とも言われます。その100兆個、全て微生物の連鎖で成り立っていて、しかもその系列は次々に組み替えられて常に絶妙な動的平衡を保っている、それが自然の無限のバランスですね。これはAIがいくら進歩したって真似できないことです。
その無限のバランスのなかで、健康であれば例えば害のあるものを食べた。それを分解していく力って言うのは、微生物連鎖の組み換えによって行われます。
自然界も同じです。例え害あるものでも取り入れるものを全部取り入れて、そして全ての山に水がしみ込んで、湧き水として出てくるときには無菌状態の透明なきれいな水になる。それは大地を通して命を生み出す力のある水の状態へと、水もまた蘇生されるということです
その循環というのは、自然が作る無限の豊かさです。
だからこそ多様性が必要なんです。全てを消毒して微生物の多様性のバランスを壊していては、根本的な解決にはならないと思います。これがパンデミックとかそういうのに繋がるのは、今の必然的な流れといっていいのではないでしょうか?
――人間の身体に必要な菌もあるということですか。
菌=悪いものではなくて、例えばぬか漬けにしても昔は素手で行うのが普通でした。素手の常在菌を混ぜて、初めて家庭の味になります。家族でごちゃごちゃ混ざり合った菌が母ちゃんの味になるのです。その漬物がこの家族にとって健康を保つ漬物になるんですよ。
味噌もそうです。かつては、手前味噌って言葉もあって、自分の家にある味噌が一番いいということですね。家族それぞれ体に持っている菌が混ざり合うことで体の微生物が喜ぶから当たり前です。
消毒すると、そういった体に必要な菌まで全て消えてしまいます。
自然と共生していくために
自然と人間の関わりを訴えかける高田さん。――人間はこれから自然とどのように向き合えばいいでしょうか。
そのことに関して、戦前の物理学者である寺田虎彦は、「自然を克服することで発展してきた西洋科学に対し、日本古来のありかたとしては、自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を収集し蓄積することを務めてきた」と言ったんです。西洋科学のような、人間の力で自然を克服しようとすることが限界にきていることに気付いたのでしょう。
ただ、それから100年近く経っても一向に自然環境はよくならないどころか、悪くなる一方です。
もちろん、現代土木工事の全てが悪いわけではありません。例えば、非常時にいまにも崩れそうになった斜面があったら、それをコンクリートで押さえつけるのは人道的にやるべきことであって、それが現代土木で環境を傷めるにしても、そこに家があって人が住んでいるのであれば、応急処置としてする必要はあります。ただ、それは根本の解決にはならないんです。
人間だって病院に行って医療を受けずに健康を保ったほうがいいですよね。それと同じで、自然界もなるべく健康を保つためにはどうすればいいか考えなければならないと思います。土木の応急処置は非常時でどうしようもない時に行う。
ですので、平常時に考えることが必要です。自然環境への再生の道筋を考え、自然環境の摂理を軸にした文明に切り替えていかなければいけないと強く思います。人間のための自然ではなく、あくまで自然の中の一つのピースが“人間”であるという考え方ですね。
そういう考え方に切り替えていけば、知恵が次々に降りてくると思います。何故なら、学ぶ対象が自然になるわけですから。今までとは違うわけです。学ぶ対象が自然だったら無限の情報を与えてくれます。
――自然と人間を一体で考えるということでしょうか。
仏教の言葉で依正不二という言葉があります。依正とは、依報と正報のこと。依報とは自分のことで、正報とは環境全体のことです。依正不二とは、自然と自分は異なる二つではなく一体であるという教えです。つまり、自然を傷めつければ、自分も痛めつけることになる。全ての命は全部繋がっているという。
また、「開発(かいほつ)」も本来仏語発祥の言葉です。
本当の自分に気づいたり、文明の在り方に気づいたりすることが、本当の意味での「開発」なのだそうです。
しかし、今の文明における「開発」は、本当の意味での「開発」などではなく、それは単なる「破壊」でしかありません。
かつて貧しかった時代から、国民の幸せを求めて文明は発達してきました。しかし、その過程で自然に対する間違いがありました。その間違いを未来の子供たちのために私たちが正さなければいけないと思います。誰しも文明の恩恵を受けて生きているわけですから、誰が悪いとかの話ではありません。この時代に生きている私たち大人の責任なのです。
“文明の節度”を考える
――この時代に生まれた1人1人が考えなければいけないですね。
そうですね。どこまでやっていいのかということが大事で“文明の節度”を考えなきゃいけないと思います。そのうえで、これだけの世界の人口を生かすにはどうすればいいのか。未来を含めて考えていく。
自然環境と真正面に向き合いながら、文明を発展させるのでなく高めていく。日本人は、昔から自然と共生してきた民族なので世界の中でも率先してそういう生き方ができると信じています。
私たち人間は、技術をどんどん発展させてきましたけど、人間としての哲学や持続可能な自然との付き合いを今後どうしていけばいいのか、未来を見つめる崇高な心を育てる必要があると思います。
森を案内する高田さん。高田宏臣(たかだ・ひろおみ)
株式会社高田造園設計事務所代表、NPO法人地球守代表理事。1969年千葉生まれ。東京農工大学農学部林学科卒業。1997年独立。2003~2005年日本庭園研究会幹事。2007年株式会社高田造園設計事務所設立。2014~2019年NPO法人ダーチャサポート理事。2016年~NPO法人地球守代表理事。国内外で造園・土木設計施工、環境再生に従事。土中環境の健全化、水と空気の健全な循環の視点から、住宅地、里山、奥山、保安林などの環境改善と再生の手法を提案、指導。大地の通気浸透性に配慮した伝統的な暮らしの知恵や土木造作の意義を広めている。行政やさまざまな民間団体の依頼で環境調査や再生計画の提案、実証、講座開催および技術指導にあたる。最新刊は「土中環境」(建築資料研究社)。