謎の遺跡ストーンヘンジの目的は?新しい発見と日本の環状列石

謎の遺跡ストーンヘンジの目的は?新しい発見と日本の環状列石

この世界には、過去の人々が残した遺跡が数多く存在しますが、中には多くの謎が秘められているものがあります。 その一つとして、有名な遺跡がイギリスのストーンヘンジではないでしょうか。

ストーンヘンジは何年も研究されていますが、すべての謎が解明されていない遺跡です。そして、ここ数年も新たな謎が発見されているのです。 ストーンヘンジとは、どのような遺跡なのでしょうか。

謎の遺跡!ストーンヘンジとは

ストーンヘンジは、イギリスで発見された石を環状に配置した古代の遺跡(環状列石)で、1986年に世界遺産として登録されています。 世界で最も有名な先史時代の遺跡と言われ、円陣状に直立の巨石が並び、それを土塁が囲んでいます。 石の高さは平均で4メートル、円は直径約100mの広さ、という大規模なものです。

考古学者によると、巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられ、周りの土塁と堀が元前3100年頃まで遡ると考えられています。 誰が作ったのか、石の運搬方法や建設技術など、解明されていないことが多く、魔法使いによって作られた、宇宙人が作った、など信じがたいような噂も出るほど、ストーンヘンジは謎の多い遺跡として知られているのです。

ストーンヘンジの発見

ストーンヘンジの存在を記した最古の記録は、1130年頃にハンチントンのヘンリーという聖職者が書いた歴史書でした。この時点で、ストーンヘンジは、既に記録に残すべきモニュメントとして人々に認識されていた、と考えられます。

1615年には、イングランドの建築家として知られる、イニゴー・ジョーンズが「ストーンヘンジはローマの神殿だった」という主張を残しています。

1740年、ウィリアム・スタッカレーが学術的にこの遺跡を調査します。このとき、彼はストーンヘンジがケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂だったと誤った結論付けをしてしまいます。

1798年、ウィリアム・カニントンが倒壊した石の下の穴を調査し、かつてはそれが立っていたと結論付けます。さらに、1900年には広範囲な調査が行われ、国家の管理下に入った後、1919年から1926年までストーンヘンジの大発掘が行われました。

ストーンヘンジの目的は?

ストーンヘンジは何が目的で作られたのでしょうか。 初期の解釈としては、アーサー王伝説で有名な魔術師、マーリンが巨人を使役して作られたもの、と言われていました。 研究が進むにつれて、古代天文学の天体観測所や天体軌道の計算装置として使われた、という説が挙げられます。

他にも儀式のために使われたなどの説もありますが、どれも決定的な証拠はなく、現在でもストーンヘンジが作られた目的は、議論が続いています。

ウッドヘンジとダーリントン・ウォールズ

ストーンヘンジの周辺には、他にも謎の遺跡が存在しています。 中でも有名なのが、ウッドヘンジとダーリントン・ウォールズです。

ウッドヘンジはストーンヘンジから、約3キロ離れたところにある遺跡で、楕円形に並べられた杭の跡です。この跡には木の柱があったと考えられ、ストーンヘンジと対になり、生と死を表していたとも言われています。 ダーリントン・ウォールズは、ウッドヘンジから70メートル離れた場所に位置する、直径約450メートルもある環状遺跡です。ここには、ヘンジを監督する高官の住居か、宗教的な儀式の場だったと想像されています。

ストーンヘンジの付近で巨大な遺構が発見

謎の多いストーンヘンジですが、2019年に新たな発見があり、話題を呼びました。 最初、ダーリントン・ウォールズの周辺に存在する「巨大な穴」が発見されたことが、きっかけでした。 その穴は直径が10メートル、深さは5メートルという巨大なもので、これまでに20個も発見されています。

これが自然のものではない、と判断した研究チームは、穴から発見された蓄積物を放射性炭素年代測定で調べました。 すると、この穴は紀元前2800年から紀元前2100年頃に掘られたもので、ダーリントン・ウォールズが作られた時期と同じである、と考えられることがわかりました。

この穴はダーリントン・ウォールズを囲うように点在し、直径は2キロの円を描いています。 そのため、この穴は境界線として使われていたのではないか、と研究チームは指摘しました。 そこには、かつて聖地との境界線があり、社会階層に応じて立ち入ることが可能な範囲を示していたのです。

ストーンヘンジを含め、この遺跡群が何のためにあったのか、正確には分かってはいませんが、まだまだ新発見があるかもしれない、と思うと、ロマンが広がりますね。

日本にもある!ストーンヘンジのような遺跡たち

ロマンある不思議な遺跡、ストーンヘンジですが、日本にも似たような遺跡があるのをご存じでしょうか。 石を環状に配置した遺跡を、ストーンサークル、もしくは環状列石(かんじょうれっせき)、環状石籬(かんじょうせきり)と言って、ストーンヘンジ以外にも存在するのです。 それでは、日本のどこでストーンサークルを見られるのでしょうか。

忍路環状列石

忍路環状列石は北海道小樽市忍路にある遺跡で、日本の考古学史上初めて報告(1861年に発見)されたストーンサークルとして知られています。

実は小樽市や余市町には、多くのストーンサークルが存在していますが、忍路環状列石はその中でも最大のものです。 長径は33メートル、短径22がメートルの楕円形で、大小の石が配置されています。

どのような目的で忍路環状列石が作られたのかは、区画墓と呼ばれる集団墓地だった、というのが有力な説のようです。

大湯環状列石

大湯環状列石は1931年に発見された、秋田県鹿角市十和田大湯にある遺跡で、野中堂環状列石と万座環状列石の二つで構成されています。 大きい方の万座環状列石は、環状直径は52メートルあり、現在発見されている日本のストーンサークルの中では最大。縄文時代後期に作られたものと考えられています。 目的としては、共同墓地だったという説が有力です。

田端遺跡

都内で唯一見学できる縄文時代のストーンサークルが田端遺跡です。 田端遺跡は、東京都町田市小山町にあり、1968年に畑の耕作中、偶然発見されました。 これも、縄文時代後期に墓地、祭祀場として使われていたと考えられています。

現在、実物は埋め戻して保存され、レプリカによって復元されています。 また、日本で最も駅から近いストーンサークルとしても知られています。

牛石遺跡

牛石遺跡は山梨県都留市厚原字牛石にある、縄文時代中期の遺跡です。 直径50メートルに及ぶ最大級のサークルで、弥生時代の住居跡3軒も発見されています。 富士山を望める立地になっていることも特徴です。

千居遺跡

千居遺跡は、静岡県富士宮市にある縄文時代成熟期の遺跡です。 ここにも、大規模なストーンサークルが存在し、二基の列石跡が、富士山に対して防波堤のように並んでいます。 この石跡は富士山信仰と関りがあったのではないか、と指摘されています。

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