生物多様性をビッグデータ化!環境保全の新たな形 久保田康裕教授インタビュー
私たちの生活にさまざまな恩恵をもたらす生物多様性ですが、人間の活動によって失われる恐れがあります。 人間が今まで通りの生活を続けながら、自然を守ることは難しいことのようですが、生物多様性のデータを蓄積し、正しく分析すれば、それが可能となるかもしれません。
そんな研究を続けているのが、琉球大学理学部の教授であり、株式会社シンクネイチャーの代表である久保田康裕教授です。 久保田康裕教授に「生物多様性ビッグデータ」を使った新しい環境保全の形をお聞きしました。
生物多様性ビッグデータとは
――先生が研究されている「生物多様性ビッグデータ」とは、どのようなものなのでしょうか。
私たちが作る「生物多様性ビッグデータ」とは、生物の分布、生物それぞれの種の機能特性、系統(遺伝)情報などが元になっています。これら生物に関する膨大な情報を分析することで、生物多様性の適切な保全利用の方法を考えることができます。私たちが、よく耳にするビッグデータと言えば、スマホやクレジットカードの利用履歴などの情報を、自動的・機械的に集積した莫大なデータを有効活用するものです。
一方、生物多様性ビッグデータは、自然愛好家を含む生物学に関わる研究者たちが集積するもので、博物館や植物園に収蔵されている標本記録、生物の分布が記載された論文などが、各地に存在しています。私の研究チームでは、それらの大規模かつ細々とした生物情報を統合・電子化して可視化しているのですが、大元は研究者が地道な野外調査で(人力)で集めているところは、普通のビッグデータと違うところですね。
この生物多様性ビッグデータを使うと、どこにどんな種類の生物がいるのか、つまり種の分布を緯度経度という座標情報で把握できます。そして、生物種の分布が、時間と共にどのように変化するのかを分析できます。 そうすると、人間が土地利用で森を切ったり田畑を作ったりした場合、生物の分布がどういう風に変化するのか定量もできますし、気候変動が進んだ場合に生物の分布が今度どのように変化するのか予測できるようにもなります。
つまり、私たちの身近にある生物多様性がどういう環境に依存して今の姿になったのか、あるいは人間の開発や温暖化によって環境が変化した場合、身近にある生物多様性がどのように変化するのか、生物多様性ビッグデータを用いれば分析できるのです。
オンラインインタビューを受ける久保田康裕教授。――なぜ生物多様性ビッグデータで、未来の生物分布の変化を予測できるのでしょうか。
それは、過去から今まで時代時代で取られた生物分布の情報を網羅的に発掘して集め、時間の変化に対応して分析できるようなデータだからです。 時代によって生物の分布情報は精度にバラつきがありますが、50年前はどうだったのか、40年前はどうだったか…と、過去50年間にそれぞれの生物種がどのように分布をシフトさせてきたのかはわかります。 そのため、それぞれの時代ごとに取られた生物の分布に関する情報を、統計モデルによって分布エリアを推定し、時代間で分析エリアの違いを比較すれば予測は可能です。
例えば、高度経済成長の前と後では日本の土地の利用形態が変わり、雑木林だった場所が宅地になったなど多くの変化がありましたが、そのような土地改変の前後のデータがあればそれに応じて生物の分布がどう変化したのか評価ができます。 さらに、その情報を基にすれば、今後、土地の改変を進めると生物多様性のパターンがどう変化するか、あるいは森を復元したら生物多様性がどう回復するのか、ということも予測できるのです。 土地利用の変化に関する情報は行政情報として整備されています。それらと生物の分布情報を対応して分析すれば、土地の変化による生物の分布の変化も追えるのです。
また、日本の場合、自然史研究の長い歴史があるので、生物の分布情報が膨大に存在しています。私たちも十分に把握していないだけで、まだまだ眠っているものがたくさんあるでしょう。 意外なところで生物の細かい分布情報を得たケースを挙げるとしたら、県や町、村などで作られている郷土史です。日本の郷土史は生物の分布目録が付いている場合が多いのです。 その郷土史を丹念に洗っていくと、その町や村にどういう植物が分布していたのかが把握できます。世界的に見てもそのような膨大な自然史情報が市民レベルで集積されている国はあまりないでしょう。 このような生物分布を記載した古い文献は、生物多様性を保全するための研究に使える、宝の山と言えるのです。 まさか、郷土史を作った人たちも、そんな使われ方をするとは思っていなかったでしょうね。
生物多様性ビッグデータの活用法は?
――生物多様性ビッグデータの活用例は、どのようなものがあるのでしょうか。
私たちは、このビッグデータを使って生物多様性の分布を可視化した地図を作りました。 日本に分布している植物、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、淡水魚類、珊瑚など主要な生物の分類群について、どこにどれくらいの種類が分布しているのかを地図化して、多くの人に見てもらえるように公開しています。
株式会社シンクネイチャーによる日本の生物多様性地図化プロジェクト。どこにどんな生物が多く分布しているのか地図化されている。
https://biodiversity-map.thinknature-japan.com/
この生物多様性地図は、自然愛好家を含む多くの研究者が丹念に記録した論文情報や標本情報を網羅的に集めて統合したことで初めて可能になりました。
この生物多様性ビッグデータを使った地図があることで、どのようなご利益があるかということですが、生物の研究だけでなく社会貢献にもつながると考えています。 まず研究面については、生物多様性がどのようにして成り立ったのか分析するための基礎情報になります。生物多様性が豊かな場所はどこなのか。種類数が多い地域はどこなのか。生物多様性のホットスポットはどういう環境条件によって生み出されてきたのか。生物多様性の地図は、これらの研究に大変役立つと考えられます。
社会的に役立つ面としては、生物多様性の分布が国レベルで可視化できたことで、どこを重点的に保全すべき地域なのか、計画が立てやすくなる、ということです。 その一つの例として挙げられるのが、自然公園の保全効果(実効性)の評価です。生物多様性を保全すべきだ、ということは社会的な合意であり、保全に関わる法的な規制もあります。例えば、生物多様性を適切に保全するために設定された地域が国立公園のような自然公園であり、そこではさまざまな経済活動が制限されます。 そのため、自然公園は生物多様性を保全する上で重要な場所を選ぶべきです。しかし、今までは生物多様性の分布が十分に把握されていなかったので、専門家の知見などを参考にして、経験的な判断や社会経済的な要素を元にして保護区が設置されてきました。保全計画の科学的な根拠が脆弱だったわけです。実際に私たちが作った地図に表示される保全上重要な地域と、現在の国立公園の空間配置を重ね合わせると、一致しない部分があります。
そこで、私たちは科学的根拠(研究データ)に基づいて保全上重要な場所を保護できるよう、新しい保護区の設置や拡張を提案しています。 また、人間による開発や気候変動によって生物多様性の保全上重要な場所が変わることも間違いありませんので、生物多様性ビッグデータを用いて生物多様性の変化を予測し、それに応じた保全計画や国土の利用計画も提案しています。
沖縄の生物多様性
――先生は琉球大学に所属されていますが、沖縄の生態系に特殊性を感じることはあるのでしょうか。
沖縄は固有な生態系を築いた地域の典型と言えます。沖縄はヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネのような固有種が、他の地域に比べて多いのです。生物多様性の保全重要地域を特定する分析をしてみると、植物、脊椎動物、ほぼすべての生物について優先的に保全すべき重要な地域だということが明らかです。 なぜ、これだけ沖縄の生物多様性が固有で重要なのかと言えば、地理的な要因が一番大きいと思われます。島という独立した環境ですから、独自の進化を遂げて、そこにしかいない種が増えたと考えられるのです。
――沖縄ではマングースの駆除にも貢献されたと聞いています。
マングースはハブを駆除する意図で海外から持ち込まれた外来種です。しかし、実際にはハブを捕食せず、沖縄の貴重な固有種を食べてしまうので問題となりました。 しかも、沖縄は世界自然遺産に登録する準備を進めていて、その要件の一つとして外来種であるマングースの駆除根絶がありました。希少な固有種の絶滅リスクを高めてしまうマングースの存在が懸念されたのです。
そこで、環境省や沖縄県は凄い予算を投じて駆除を長年続けているのですが、私たちはその事業で集積されたマングースの捕獲情報や固有種の分布情報を分析しました。沖縄島北部の生物多様性の分布地図に、マングースの分布がどれだけ縮小したか、固有種の分布を重ね合わせて、マングース駆除事業の実効性を評価して論文で発表しました。マングース駆除が沖縄島北部の生物多様性保全に効果的な成果をあげていることが明らかで、今後も駆除事業を継続するための科学的エビデンスになればと思っています。
――そのほか、沖縄で印象的だった研究はありますか。
現在、琉球諸島の生物多様性ビッグデータを整備して、保全上重要な地域を分析し、沖縄県事業の生物多様性保全利用指針OKINAWAの作成を支援しています。 これは、沖縄県の行政の方が私たちの研究に関心を示してくれて、保全事業の科学的サポートを依頼されたことから始まったコラボです。 生物多様性ビッグデータを基に最先端の分析手法を使って、生物多様性の保全重要地域を可視化して保全利用指針を作る。このような取り組みは世界でも初めてのケースだと思うのですが、保全科学の社会実装の見本のような事例です。 これを地図化した一部の結果が、県のサイトで公開されています。
オキナワイキモノラボの環境カルテ。表示された地図から場所を選ぶと対象地域の生物多様性を確認できる。
https://biodiversity.okinawa
これまで、よく見られた自然保護問題は、例えば埋め立て事業やホテルやレジャー施設などの開発計画が動き出してから、そこに希少生物が存在すると判明し、開発か保護かという議論が平行線をたどるというものでした。 しかし、このような科学的な情報を基にした保全重要地域が事前に公開されていれば、開発サイドも問題になりそうな地域を避けられます。今まで見られたような自然保護問題を事前に回避することに役立つのではないでしょうか。これは、研究成果を社会実装するという意味では、かなりチャレンジングなプロジェクトです。
研究の企業化により生物多様性を守る
――久保田先生は株式会社シンクネイチャーの代表でもあります。研究を企業化したのは、どのような経緯があったのでしょうか。
自然科学、基礎科学全般に言えることですが、研究の持続可能性を考えると明るい未来とは言えない、という印象です。大学の現状も同じで、将来的に若手の研究者が大学に職を得るのは難しいという実態があります。 生物多様性の研究についても、経済的にも予算的にも難しい、一言でいうならお金にならない研究です。
しかし、その一方で生物多様性の保全は社会的にも重要だと認識され、行政や企業もさまざまな取り組みを見せています。実際に行政や企業から、環境保全についてアドバイスやコメントを求められることは非常によくあることです。 協力したとしても、私たちにとってはボランティアみたいな状態で、収益になることはありません。
だとしたら、自分たちの研究を社会的なニーズに合わせて社会実装し、収益化に結び付けることで、得られたお金を研究の持続推進に使えないか、と考えました。 日本でも、企業の環境保全に関わるCSR活動は色々ありますが、ブランディングが先行して実効性が伴っていない自己満足的なものが多いと思います。 例えば、「木を植える」「森を作る」などのCSR活動がありますが、実際に木を植えるとしてもどんな木がいいのか、森を作ったらどんな効果があるのか、ということまで科学的に考えて取り組んでいるとは言えないのです。
しかし、我々であれば実効性のあるCSR活動のプランニングや評価が可能ですし、例えば企業の森林整備事業が生物多様性の保全にどれだけ寄与したか、二酸化炭素削減にどれだけ寄与したのか、数値で出すことも可能です。 そうすれば、様々な企業の環境CSR活動を「実効性」という視点で評価することができ、個々の企業がより意義のあるCSR活動を推進するための科学的サポートができると考えています。このような考えから、多くの行政や企業の環境保全事業に貢献できればと思います。
生物多様性ビッグデータを用いた未来
――将来的には、生物多様性ビッグデータを用いてどのような活用法が期待できるのでしょうか。
基礎研究の観点であれば、もちろん色々な展開があるのですが、それと並んで、特に考えているのは、やはり研究成果の社会還元と社会実装です。
まず、生物多様性ビッグデータは利便性のある情報基盤になると思います。行政だけでなく企業に使ってもらえるような、ビジネスリソースになるのではないでしょうか。 これだけの高解像度で、生物多様性を地図化できれば、希少生物の分布を把握できるだけでなく、人間にとって有用な生物がどこにいるのか、あるいは人間にとって不都合な生物、例えば外来種や農林業に影響を与える害獣などの情報もわかります。生物多様性に関係した生態系サービス、恩恵と報いの両方がありますが、それらの空間情報は様々な利用可能性があると思います。
また、日本で生物多様性の地図を作ると、平野部の都市が広がっている場所が、生物多様性のホットスポットだということがあります。しかし、東京のような都市部で保護区を作ることはできません。 そこで、生物多様性を保全する新たなゆりかごとしての、都市公園や都市計画を考えています。従来の都市公園のデザインは、生物多様性保全の視点が不十分だったと思います。しかし、生物多様性ビッグデータを活用すれば、本来その都市に生息する生物をうまく復元・保全するような都市生態学(アーバンエコロジー)の実践ができると思います。
このように研究の情報基盤としての活用や社会実装によって、生物多様性ビッグデータの利用価値をさらに高めて、その大元である自然史研究の重要性を一般の人たちに理解してもらいたいと考えています。
琉球大学・久保田研究室Twitter公式アカウント → https://twitter.com/bio_cb_jp
株式会社シンクネイチャー → https://thinknature-japan.com/
久保田 康裕(くぼた やすひろ)
琉球大学理学部・教授。株式会社シンクネイチャー代表。森林からサンゴ礁まで生物多様性の起源と維持のメカニズム解明に関する基礎研究を行う。同時に、生物多様性の保全計画や気候変動適応を、科学的な枠組みで具現化するための応用研究を展開し、行政や民間企業とも連携して研究成果の社会実装を推進している。