日本の失われた河川5選!なぜ自然は破壊されたのか

日本の失われた河川5選!なぜ自然は破壊されたのか

川は人々の営みにさまざまな恩恵をもたらす存在です。 しかし、環境問題によって河川が失われてしまうケースがあることをご存じでしょうか。 今回は失われてしまった日本の河川をご紹介します。

日本から失われた5つの河川

失われてしまった日本の河川として、以下の5つが挙げられます。

  • 渋谷川
  • 築地川
  • 桃園川
  • 長堀川
  • 曽根崎川

これらはどういった経緯で失われてしまったのでしょうか。それぞれの詳細を見てみましょう。

渋谷川

かつて渋谷川が流れていたキャットストリート

渋谷川は東京都の渋谷駅南方から流れる二級河川ですが、今はその姿を見ることはできません。 今でこそ都会の象徴的な街である渋谷ですが、かつては田園地帯であり、そこに渋谷川が流れていました。

渋谷川では、いたるところに農作業用の水車が設置されるほど自然が広がっていたと言われていますが、この景色は葛飾北斎が「富嶽三十六景」の一枚「隠田の水車」で描いています。 また、周辺にはスミレやレンゲが咲き乱れ、川にはメダカが泳いでいました。 1912年に発表された唱歌「春の小川」は、そんな渋谷川の風景がモチーフだったと言われ、歌詞から当時の風景も想像できます。

そんな渋谷川に変化があったのは、高度経済成長期のころ。急激な人口流入に下水道の整備は追い付かず、生活排水がそのまま渋谷川に流れる状況となってしまいました。 そのため、渋谷川は悪臭を放つドブ川となってしまいますが、1964年に東京オリンピックの開催が迫ります。 オリンピックが開催されれば世界中から多くの観光客が集まりますが、汚い川を見せるわけにはいかないという見栄が当時の日本にはありました。 さらに用地不足を解消するという目的のため、渋谷川はコンクリートで塞いで道路にされてしまったのです。

暗渠となってしまった渋谷川ですが、現在も渋谷から原宿に続く「キャットストリート」の下を流れています。 マンホールに耳を澄ませると、水の音が聞こえる場所もありますが、これは湧き水ではなく、雨水や処理された再生水です。

築地川

かつて築地川が流れていた門跡橋の跡地

築地川は東京都中央区を流れる川でしたが、現在はそのほとんどが埋め立てられています。 もともと「築地」とは埋立地を意味する言葉で、江戸時代に大火で焼失した浅草御門南の西本願寺の代替地として佃島の住人によって作られた土地でした。 そのとき、海から陸に作り替えられましたが、埋め残されて運河となった部分が築地川となります。

江戸時代は武家屋敷が、明治時代は料亭などが並び、築地川の周辺は情緒ある景色でした。 1950年頃までは夏の涼を楽しんだり、屋形船が通ったりする光景が見られましたが、関東大震災と第二次世界大戦をきっかけに築地川は消えてしまいます。 地震と空襲によって焦土と化した東京では、膨大な量の瓦礫が出てしまいましたが、その処分場所として築地川が利用されたのです。

さらに、オリンピック開催に合わせて、高速道路網を建設する計画が立てられると、残った築地川と跡地が利用され、その大部分が埋め立てられました。 そのため、築地川があった場所には「門跡橋」や「備前橋」など川に架かっていた橋が残っています。 ただ、橋から下を覗き込んでも自動車の列が行き交うばかりです。

桃園川

桃園川は東京都杉並区と中野区を流れる川でしたが、現在は全区間が暗渠化されています。 この土地は徳川吉宗が紅白の桃を植えたことから、桃園という名前が定着し、川は周辺地域の水田灌漑用水として利用されてきました。

しかし、こちらも大正から昭和にかけて宅地化が急激に進み、生活排水が桃園川に流れ込み、ドブ川となってしまいます。 さらに、周辺をコンクリートで固めてしまったため、雨水が一気に流れ込むようになってしまい、頻繁に氾濫することに。 結果、桃園川は河川改修工事によって暗渠化し、現在は歩道や公園となっています。

長堀川

長堀川は大阪府大阪市にあった運河で、現在は長堀通の一部区間となっています。 もともと長堀川は、江戸時代初期に有力町人たちが中心となって開削され、幅約30~40メートルある大きな運河でした。

長堀川沿岸には廻船問屋や材木問屋、各藩の屋敷が並び、大いに賑わうエリアで、物流を支える機能を果たしていたと考えられています。 しかし、大阪も第二次世界大戦で空襲を受け、大量の瓦礫が発生。これを処分するために長堀川の東側が埋め立てられます。

さらには、1960年代の高度経済成長期に入ると自動車が急増。 船で荷物を運ぶ文化も衰退してしまったことから、残されていた長堀川の西側も道路として埋め立てされてしまいました。

現在、長堀川だった場所は「長堀通」として、大阪の東西をつないでいます。 また、長堀川に架かっていた橋の名称は、現在も交差点、駅、バス停などの名称に使われており、中でも心斎橋が有名です。

曽根崎川

曽根崎川は大阪府大阪市にかつて存在した河川で、別名を蜆川(しじみがわ)と言います。 かつては名前にある通り、シジミがよく採れた川で、近松門左衛門の「曾根崎心中」や「心中天網島」に登場するなど文化的な価値も認められていました。

しかし、1909年に「北の大火」と呼ばれる大火事が発生。その際に発生した瓦礫の廃棄場所となり、曽根崎川は埋め立てられてしまいます。 現在は曽根崎川跡として石碑が立ち、跡地の一部に立つ巨大なビル「堂島アバンザ」には、かつての曽根崎川を再現した人工的な水流が作られ、わずかに当時の雰囲気が感じられます。

河川だけじゃない!失われる自然を守るために

このように、人の暮らしを支える河川も私たちの行動によって失われてしまいます。 しかし、自然は私たちに多くの恩恵を与えてくれる存在のため、可能な限り守っていかなければなりません。 河川を始め、私たちが自然を守るために何かできる行動はあるのでしょうか。

環境問題のためにできることは、節電や食品ロスを意識するといった行動がありますが、一番の基本はリサイクル・リユースと言えるでしょう。 身近な例で言うと、リサイクルはしっかりごみを分別することで資源が循環されて無駄を抑えられます。 再利用を意味するリユースは、繰り返しモノを使うことで、こちらも資源を無駄にしない行動の1つです。 例えば、リユースショップやフリマアプリで次の持ち主へ橋渡しすることも、立派なリユース活動となります。

リユースはリサイクルよりも環境負荷を抑えられる行動として知られています。 身近なところから、使わないモノはリユースできないか、ぜひ意識してみてください。

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