ニホンアシカとは?絶滅した日本唯一のアシカ【絶滅動物シリーズ】
水族館や動物園で人気のアシカ。
アシカショーを見て、その身体能力に驚いた人は少なくないでしょう。
昨今、私たちが見るアシカはカリフォルニアアシカと言われる種類になりますが、かつては「二ホンアシカ」と言われる、日本沿岸で繁殖する唯一のアシカがいました。
しかし、彼らは絶滅してしまい、その姿を見ることはできません。
いったい何があってニホンアシカは絶滅してしまったのでしょうか。
※写真はイメージとなり、実際の動物と異なる場合があります。
ニホンアシカとは
二ホンアシカはアシカ科アシカ属に分類される鰭脚類(ききゃくるい)です。
ニホンアシカは、一生のほとんどを海上で過ごします。
休憩や出産のために岩礁に上がることはありますが、食事や移動の際は海に入ります。
泳ぐときは顔を水面に出すことが多く、瞬間最大速度は30kmに達します。
イカやタコが好物で、トゲのある魚は苦手。
警戒心が強い特徴があり、群れが岩の上で眠っているときも、一匹は見張りとして起きています。
危険があった場合は、見張りが大きな鳴き声を出して仲間を起こし、一斉に海中に避難します。
日本列島の周辺海域に生息していましたが、1900年代になってから減少してしまいました。
ニホンアシカの歴史
二ホンアシカは縄文時代の貝塚から骨が出土しているほど、古くから存在する種でした。
江戸時代に書かれた百科事典とも言える「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」の中にも、ニホンアシカについて記載がありました。
食用には適さないとされ、その頃からも油を摘出することで、石鹸の原料として使われていたようです。
他にも漢方やパイプの掃除に髭が使われていました。
江戸時代では禁猟であり、狩猟やアシカがいる島への上陸は厳重に監視されていました。
しかし、明治時代に入ると政治的な混乱があり、捕獲や駆除は野放しとなってしまいました。
1879年、神奈川県の海岸でニホンアシカが捕獲されていた記録が残されていることから、1900年代までは日本各地で生息していたと考えられます。
ニホンアシカ絶滅の経緯
1895年頃、ニホンアシカの最後の生息地と言われる、島根県の竹島で、皮と脂を採るために捕獲されていました。
1900年初頭には、ニホンアシカの猟が本格化し、1905年に竹島漁猟合資会社が設立します。
その頃は、年に1300頭以上のニホンアシカが捕らえられていました。
それからニホンアシカは次第に個体数が減っていくことになります。
1930年頃には、ニホンアシカの猟の目的は、サーカスや動物園へ売ることになっていました。
捕獲数も年間で40頭程度となり、第二次世界大戦の前にニホンアシカの猟は停止されます。
それはニホンアシカの絶滅を懸念したらかではなく、採算が取れなくなったからでした。
1958年には竹島の周辺でニホンアシカの目撃が報告されていましたが、その後は確実な記録もなく、絶滅したと考えられています。
絶滅の理由は確かに言えるものはありませんが、一つは人間による乱獲だと思われます。
また、ニホンアシカの生息地であった竹島は、戦後韓国によって要塞化されます。
それからの竹島の状態は、とても生き物が住めるものではなかったと言われています。
貴重なニホンアシカの姿
ニホンアシカは珍しい種でしたが、絶滅してしまったため、詳しいことが分からない動物の一つです。
しかし、そんなニホンアシカの貴重な映像が、1992年に発見されます。
それは、ある民家から見つかった、かなり痛んでいる8ミリフィルムでした。
それまでは、漁民の家や資料館に写真が保存されていることは知られていましたが、映像が残されているとは誰も思わなかったのです。
そこには、1940年の竹島の映像で、海面から顔を出して泳ぐ二ホンアシカの姿が記録されていました。
もし、ニホンアシカが絶滅していなければ、擦り切れそうな8ミリフィルムの映像が貴重となることもなかったでしょう。
私たち人間の活動は多くの動物の存続に大きな影響を与えてしまいます。
動物たちがありのままで、いつまでも生きられるように、私たちはこれからも注意しなければならないでしょう。