都市にある湿地は自然の宝庫 沖縄と新潟の湿地を見る

都市にある湿地は自然の宝庫 沖縄と新潟の湿地を見る
福島潟。住民が散歩していた
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

水鳥の生息地として国際的に重要な湿地を保護するためのラムサール条約で登録された日本の湿地は54か所にのぼる。1980年に釧路湿原が第一号となり、その後、環境省と豊かな湖沼のある自治体が協力し、数を増やしてきた。

世界各国はいま、ネーチャーポジティブ(NP、自然再興)を合言葉に、人間活動による自然の損失を食い止め、2030年までに反転させ、回復軌道に乗せることを目標に掲げる。環境省は民間企業の所有する森林などを国が登録し、NPを進める。生物多様性の宝庫、ラムサール条約の登録地はその先頭に立っている。

なかでも注目されるのが、都市部に残る湿地の存在だ。ラムサール条約締約国会議で、「湿地都市」という新たな名称をつけた認証制度が決まり、日本では、新潟市、名古屋市、鹿児島県出水市の3市が認証された。「湿地都市」とはなにか? 沖縄と新潟の湿地を訪ねた。

ジャーナリスト 杉本裕明



川の河口部に広がる漫湖

ラムサール条約登録湿地の漫湖の面積は58ヘクタール。沖縄県那覇市の中心街から3キロほど離れた国場川と饒波川の合流点に広がる。潮の満ち引きで、淡水と海水が混じるが、ゴカイなどの底生生物が豊富で、水鳥が水面にくちばしを突っ込み、エサを探している。

鳥類は約200種が観察され、シギ、チドリを中心に水鳥は101種。その中に、絶滅危惧種のクロツラヘラサギ、絶滅危惧類のセイタカシギもいる。

岸辺に沿って遊歩道があった。ジョギングしたり、ベンチでくつろいだりする市民の姿があった。岸辺にヨシ原が群生し、31万人の都市にかろうじて残った湿地が、市民に親しまれていることがわかる。

漫湖の遊歩道に設置されていた掲示板は、みな老朽化が激しく手入れされていない(沖縄県那覇市)
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

河口部を豊見城市に向かって歩くと、漫湖水鳥・湿地センター(豊見城市)があった。環境省が設置し、同省と、沖縄県、那覇市、豊見城市で協議会をつくり、管理している。

那覇市にある環境省の漫湖水鳥・湿地センター
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

中に入った。1階の展示室には、漫湖の歴史や水鳥、植物などがパネル展示されていた。2階は関連する書籍が並び、ガラス窓から漫湖が一望できる。しかし、気になる光景が目に飛び込んだ。右側のとよみ大橋の南側の湖面全部が、マングローブ林に埋め尽くされていたのである。

日本の登録湿地は54に増えた

筆者は1992年に漫湖を訪ねたことがあった。当時、ラムサール条約の登録湿地は、釧路湿原(1980年)のほか、伊豆沼・内沼(宮城県栗原市・登米市、1987年)、ウトナイ湖(北海道苫小牧市、1991年)の3か所しかなかった。

環境庁(現・環境省)は、翌年に釧路市でラムサール条約締約国会議が開かれるのを追い風にし、一気に登録湿地の数を増やそうと、候補地となる湿地のある県や市町村に働きかけていた。

だが、多くが、「地元住民や団体の了解が得られない」「開発計画に抵触するかも」などの理由で渋った。それでも、環境庁自然保護局の官僚たちは「胸を張って締約国会議に臨みたい」(幹部)と、執念を燃やした。

自治体と調整を進め、厚岸・別寒辺牛・霧多布湿原(北海道厚岸町、浜中町)、谷津干潟(千葉県習志野市)、片野鴨池(石川県加賀市)、琵琶湖(滋賀県大津市など)を締約国会議に合わせて登録することに成功した。

登録されるには、湿地に飛来する水鳥、面積などの自然の状態、湿地や水鳥保護が法的に担保されているか、地元の承諾が得られているかの、3つの条件があった。

漫湖は有力候補の1つだったが、地元の了解が得られず、先送りされた。しかし、90年代に隆盛を誇った公共事業がすぼみ、開発圧欲が弱まり、2008年に登録された。環境省は、登録湿地に水鳥・湿地センターを設置、その管理を自治体に任せるケア体制をとり、登録湿地を増やしていった。2026年現在、登録湿地は全国で54か所にのぼる。

参考:環境省 ラムサール条約湿地 位置図

乾燥・陸地化のバロメーター・マングローブ

マングローブ林は、とよみ大橋の南側だけでなく、漫湖の沿岸のあちこちにあった。マングローブの繁殖は、泥が乾燥して陸地化し、湿地が失われたことを意味する。

環境省によると、マングローブは1990年代の後半から増え始め、2010年には8ヘクタールを超える面積となっている。漫湖の1割が消滅したことになる。

とよみ大橋の南側は漫湖の一面がマングローブで覆われていた(沖縄県那覇市)
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

マングローブの繁殖について、環境省は、開発行為による土砂の流入、ごみの投棄、仮設道路の建設、マングローブを栽植した時期があったことをあげている。

2007年から2012年にかけて、7.6ヘクタール伐採したという。那覇市環境保全課は、「今年度も管理を任されている協議会職員が幼樹を抜く作業を続け、防止している」というが、マングローブの勢いが衰えているようには見えなかった。

漫湖の由来は中国から

漫湖の名前は、1600年代の中国の文書に出てくる。1700年ごろ、那覇港の奥に広がる入り江として漫湖が登場し、琉球王朝の時代に、中国からの船が漫湖に停泊している様子が描かれているという。

明治・大正時代に周辺で埋め立てが進んだが、漫湖は開発を免れていた。だが、戦後になって、那覇市の市街化に伴い、戦前181ヘクタールあった漫湖の面積は2000年に約67ヘクタール、さらに国場川の埋め立てなどもあり、現在に至っている。湿地がやせ細れば、水鳥も減る。1970年代後半をピークに最後に飛来する水鳥は減り続けている。

瓢湖は、日本一の白鳥の飛来地

新潟県に向かった。新潟は湖沼の宝庫だ。ラムサール条約登録湿地の瓢湖(ひょうこ)は、阿賀野市にある。本池とよばれる池と隣にある3つの池合わせて4池、24ヘクタールが、2008年に登録された。

瓢箪(ひょうたん)の形に似ていてこの名がついたという。冬に白鳥が多数飛来し、飛来数日本一を誇る。筆者が訪ねたのは、5月であるが、ケガしたのか、春にシベリアに帰り損ねた白鳥が水面にのどかに浮かんでいた。

瓢湖を歩道から見る。市民があちこちでカメラを向けていた(新潟県阿賀野市)
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

漫湖と同様、遊歩道があり、訪れる市民も多い。筆者が遊歩道を歩くと、カメラを湖面に向けている人が何人もいた。冬には白鳥まつりが開かれ、賑わうという。

阿賀野市の公園管理事務所の職員が説明する。「12羽を保護しています。羽が折れたりして飛べない白鳥たちです。ケガが癒やされてシベリアに向かって飛び立つ白鳥もいれば、もう飛べず、ここに残った白鳥もいます」。冬から春の早朝に訪ねたら、白鳥の大群が見られる。昼間は、周辺の田んぼに餌をとりにいっているという。

瓢湖にはカメラも設置されていて、阿賀野市はホームページで、白鳥が一斉に旅立つ様子を紹介している。

参考:阿賀野市 白鳥の渡来地・瓢湖 最新情報

「11月28日。今朝の気温は10℃、南風、天候は大雨。今朝の瓢湖は夜明け前から大雨、雷のなる厳しい天気の中、初立ちは6時36分で、東新池から10羽の白鳥が飛び立ちました。7時頃になると雨がやみ、白鳥たちは一斉に飛び立ち、空が白く覆いつくされるような光景がみられました。昨年の同時期と比べて1,600羽程、過去10年の平均値より2,000羽程多い状況です」

この日、シーズン最高の7,641羽を記録したという。

小学校の児童による「白鳥パトロール隊」

白鳥は秋から翌年春にかけてシベリアからやってきて冬をすごすが、大量に飛来するようになったのは戦後になってからだという。瓢湖は本池とその隣の3池を合わせて4池が瓢湖とよばれる。いずれも人造湖だ。阿賀野市が説明する。

「実は、本池は7ヘクタールしかなくて、ラムサール条約の登録湿地の基準に合わなかった。そこで、市が民有地を買い進め、新たに池を造成し、面積を増やしていった」

瓢湖では親子連れが遊歩道を歩いていた(新潟県阿賀野市)
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

市は、ラムサール条約の登録地の条件にかなうよう隣地に東新池、あやめ池、さくら池を造成した。環境省も、国設の鳥獣保護区とし、条件をクリアしていった。いま、281ヘクタールの保護区のうち24ヘクタールが、開発行為のできない特別保護区に指定されている。

瓢湖は、もともと江戸時代に農業用のため池として造られた人造湖だ。しかし、瓢湖と住民との結びつきは強い。1954年、地元の吉川重三郎さんが、警戒心が強い白鳥の餌付けに成功した。新潟県は水源の白鳥とし、31ヘクタールを県の鳥獣保護区に指定した。

瓢湖で羽根を休める白鳥たち(新潟県阿賀野市)
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

1971年、地元に「白鳥を守る会」が結成され、75年に市は、白鳥の飛来で知られる英国のスリムブリッジを手本に「瓢湖水きん公園」を整備した。

白鳥の渡来数は486羽を数え、その後、数千羽を数えるまでになった。水原(すいばら)小学校に、児童からなる「白鳥パトロール隊」ができ、ごみ拾いをしたり、訪問した人に案内したり、観察したりしている。こうした活動が瓢湖を支えている。

佐潟守れと、地元有志が立ち上がる

新潟市の中心部から海沿いに西に車を走らせる。国道402号から左折し、陸地に向かって2キロ弱。西区赤塚に湖が広がっていた。静寂が水面と周囲を包む。

木造の佐潟水鳥・湿地センターが岸辺にあった。1996年3月に佐潟がラムサール条約の登録湿地になり、2年後に環境省がこのセンターを設置し、新潟市が管理、運営を行い、普及啓発活動やモニタリングをしている。

佐潟は、新潟砂丘の低地にあり、上流側の上潟(うわかた)と、下流側の下潟(したかた)の、2つの潟からなる。面積は43.6ヘクタール。市によると、流れ込む川はなく、陸地の地下水からしみだした湧水と雨水が供給源である。

地元に「佐潟と歩む赤塚の会」があり、「ハス復活プロジェクト」に取り組んでいる。同会の発行する通信第42号によると、ハス復活の活動の取り組みを発表する報告会が2月、赤塚小学校で開かれた。市環境政策課、コミュニティ佐潟まちづくり協議会、佐潟と歩む赤塚の会のメンバー、国立環境研究所の研究員らが参加した。

集会では、赤塚小学校の児童15人が「佐潟物語~ハス復活に向けて」のタイトルで、グループごとに佐潟について学習した内容を発表した。子どもたちはハスの種からハスの苗を育てるなど、「ハス復活プロジェクト」の有力な協力者だ。児童は、みんなで描いた佐潟の未来図を広げた。

ハスの苗を植える
提供:佐潟と歩む赤塚の会

「佐潟をよりよくする行事に参加したい。いつの日か、ハスが一面に広がる佐潟をみんなに見せてあげたい」

そんな佐潟だが、市によると、佐潟は深刻な水質汚染が続いているという。佐潟につながる河川はなく、汚染されやすい。有機物の汚濁状態を測る化学的酸素要求量(COD)は夏場になると急上昇し、1リットル当たり70ミリグラムもの高い値となる。最も緩いランクの湖沼の環境基準は5ミリグラムなので、深刻である。

貧酸素状態となり、夏場にはあちこちでアオコが発生する。2018年には、それまで湖面一面を覆っていたハスが消滅した。ハスは、根の周りにミミズや微生物がすみつき、富栄養化の原因となる窒素やリンを吸収することによる水質浄化作用がある。

佐潟にはアカミミガメなど外来種が侵入し、捕獲調査が行われていた
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

ハスを絶滅させたのは、外来種のアカミミガメとアメリカザリガニの2つの外来生物だった。アカミミガメは市の調査で10,000匹が生息していると推定される。環境省が2023年に特定外来生物に指定したことから、市は本格的に駆除を始めている。しかし、2024年度には約500匹、2025年度は1,300匹程度と、解決にはほど遠い。だれかが、こっそり放流したと見られる。

佐潟と歩む赤塚の会の誕生

そんな佐潟で、ハス復活の動きが始まった。市環境政策課の担当者は「外来種の駆除だけでなく、地元の『佐潟と歩む赤塚の会』の皆さんがハスの移植に取り組んでいます。市も、ハスをアカミミガメが食べてしまわないよう、木枠を設置してハスを囲んで防ぐようにしています」と話す。

木枠でハスを囲み、食害を防ぐ
提供:佐潟と歩む赤塚の会

学生生活を終えて地元の赤塚に戻り、家庭を持ち、平穏な日々を送っていた涌井晴之さんは、子どもが小学校から持ち帰ったチラシを見たことが会設立のきっかけだった。チラシには「職場と自宅の往復だけで良いですか?」「赤塚について知ろう、地元学」とあった。

「そう言えば地元のことは何もしらないな」。涌井さんは、呼びかけた公民館主催の講座を受講し、赤塚の歴史と佐潟を学習した。そして、そこで知り合った住民や市職員とで「佐潟と歩む赤塚の会」が誕生した。

かつて、赤塚地域では、潟端で田んぼをつくり、「潟普請」と呼ばれる共同作業で潟の底にたまった有機物の死骸からなる泥やごみをさらって潟端の田んぼの肥料にし、水門や用水を管理し、稚魚を放流して漁業を営むことで、佐潟の環境を維持していた。1970年代までは下流域の田んぼの灌漑用水のため池として重宝されていた。

古老から「賢い利用」(ワイズユース)を聞き取る

ラムサール条約が求める「賢い利用」(ワイズユース)を先駆け実践していたのである。しかし、佐潟は砂丘地で畑が広がっている。その畑に肥料や農薬が使われ、それがしみこんで湧水とともに佐潟に流出した。

佐潟の環境は悪化し、夏場になると、貧酸素状態の湖面あちこちでアオコが発生するようになった。水質浄化作用のあるハスは、アカミミガメに捕食されていった。

こんな負の歴史から、昔のような佐潟に再生できないかと、勉強会を重ねた会員たちは、佐潟に投棄されたごみを回収するクリーンアップ活動、農業や漁業を通して佐潟を大切にしながら利用してきたかを古老から聞き取る、潟にたまったヘドロを除去する「潟普請」活動、ヨシ刈りと、活動の幅を広げ、深化させていった。

ヨシを刈ってトラックに積み込む
提供:佐潟と歩む赤塚の会

涌井晴之代表は、会の活動について、「2021年度から、会のメンバーが出前授業を行い、ハスの復活だけでなく、佐潟の特性や生物多様性を学んでもらっています。小学校の地域教育コーディネーターと連携し、5年生はバケツ苗の育成、潟舟体験。6年生はハスの移植、レンコン掘りを行っています。年度末の実績報告会には児童からも報告してもらっています。行政には、湿地環境を生活、暮らしの中に活かすことを考え。保全との両輪で推進して欲しい」と話している。

また、新潟国際情報大学 国際学部 紀要2025年第10号に寄稿し、佐潟での活動を紹介し、「新潟市内の湿地がもたらす多様な恩恵とサービスは持続可能な開発目標(SDGs)を達成するために重要だ。『湿地の保全・賢明な利用・再生』を掲げ、湿地の減少と劣化に対処することが問われている」と結んでいる。

参考:国立情報学研究所 新潟国際情報大学機関リポジトリ

福島潟は県内最大の潟

佐潟から車で新潟市を東進する。北区の海岸から少し南に入ると、道路脇にピサの斜塔のように傾いた円形の建物が見えた。よく見ると。傾いて見えたのは、くねくね曲がった特異なデザインのせいだった。水の道「ビュー福島潟」で、新潟市が所有し、指定管理者が運営し、パネル等の展示室と展望台などからなる。

駐車場から、道路を渡り、直進すると、福島潟がひろがっている。面積は262ヘクタールあり、新潟県で最大の湖だ。南の阿賀野市側には「五頭連峰」が見える。

遊歩道を歩く。岸辺近くで、湖面に水鳥が浮かび、静寂があたりを包み込む。 歩いていると、バチャンという音がした。大きなフナが数匹、岸辺に寄っている。獲物の取りあいだろうか。163ヘクタールが国設鳥獣保護区に指定され、潟の周りをヨシ原が包み込む。

福島潟は、オオヒシクイで知られ、新潟市北区の鳥に制定されている。オオヒシクイは、国の天然記念物に指定され、福島潟は日本一のオオヒシクイの越冬地として知られる。秋から飛来し、5,000羽以上が越冬し、翌春カムチャツカ半島に向けて飛び立っていく。

福島潟には、オオヒシクイのほかにも、コハクチョウ、カモなど数多くの野鳥の姿が見られ、人びとの目を楽しませている。五頭連峰が湖面に映し出され、福島潟が「日本の自然百選」に選ばれているのも当然だろう。

江戸時代からの干拓の歴史

福島潟は、新潟砂丘によって阿賀野川の流れが止められてできた潟で、江戸時代の「正保越後匡絵図」(1647年)によると、3,000ヘクタールあったらしい。

その後、干拓が繰り返され、戦後になると、国のコメ増産の号令で、1966年から国営干拓事業が始まった。1976年まで続くが、途中、国は減反政策に転換、水田から畑作転換となり、農民による社会紛争まで招いた。

そんな激動の時期をへて、やがて干拓事業という社会圧力がなくなり、湿地の大切さが共有されるようになった。新潟は水の都である。川と湿地によって文化や生活が営まれてきた、その歴史を振り返り、共有しようという動きである。

前市長時代、そんな政策が活発に展開され、福島潟も湖岸堤の整備に伴い干拓地の一部を潟に戻し、193ヘクタールから現在の262ヘクタールに増やされた。

新潟市の福島潟。ラムサール条約の登録を目指している
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

新潟市は、この福島潟と、鳥屋野潟(中央区)の2つをラムサール条約登録湿地にすることを目指している。市環境政策課は「河川改修事業が現在も続いており、それが終了したら、地元の合意を得て、環境省に登録するよう働きかけたい」と話している。

「湿地都市」に認証された新潟市

5月、福島潟で、水の駅「ビュー福島潟」が主催し、約80人の市民が「福島潟インフラツアー」に参加、福島潟から海につながる放水路などを見学して回った。

福島潟には13河川が流入している。流出は福島潟から新井郷川、阿賀野川に合流し、海に向かう。しかし、豪雨で阿賀野川の水位が上昇すると水は流れず、潟はあふれ、水害の恐れがある。そこで豪雨の時に、潟から海に流す延長約4キロの福島潟放水路が造られた。

水の駅「ビュー福島潟」の建物。パネル展示などがある
杉本裕明氏撮影、無断転用禁止

見学のあと、「ビュー福島潟」のホールで、大熊孝新潟大学名誉教授の講演に耳を傾けた。大熊さんは、日本を代表する河川工学者で、ダムに頼ってきた河川政策を批判し、堤防の強化など技術的な対策にとどまらず、川と人の関係を問い直し、川との共生を唱えてきた人だ。いまになって国がダムだけでなく、流域治水を唱えるようになったのは、大熊さんの影響が非常に大きい。

「湿地都市を増やしたい」と語る大熊孝新潟大学名誉教授
提供:大熊孝新潟大学名誉教授

大熊さんは、都市に残った湿地にも目を向けていた。2015年、ラムサール条約締約国会議で、これまでの登録制度に、新たに、「湿地都市」(Wetland City Accreditation)という認証制度が決まった。これに手をあげたのは、新潟市、名古屋市、鹿児島県出水市で、新潟市は2022年に認証された。大熊さんはこの春、出版した「川がつくった川、人がつくった川」(農文協)で、湿地都市の意義をこう述べている。

今年3月に大熊さんが農文教から出版した『川がつくった川、人がつくった川』川に関する基礎知識、水害を軽減する方法などのほか、自然と共生する都市のありかたを平気なことばで説いている

「私は、『湿地都市』という言葉をはじめて聞いたとき、ある違和感を覚えました。それは、『都市』は自然を、特に湿地を排除してきたと認識していたからです。(中略)換言すれば、都市の領域を超えて自然や住民の生活を破壊してきたのです。この傾向に反して、ラムサール条約では『都市と自然の再生』を謳ったわけであり、画期的な思想的転換であるといえるのです」

大熊さんは、筆者にこう語る。「新潟には多くの潟があり、そこには潟とともに歩む人の営みがあった。それは、ラムサール条約が唱える『賢い利用』だったといってよい。

これまでの自然を収奪し、破壊してきたことを反省しないといけない。そして自然に感謝し、どのようにつきあうかを考えるとき、かつて潟と共生していた農民や漁民など、かつての生業のあり方が参考になると思う」

新潟市で開かれる世界湿地都市会議

今年11月に新潟市で、「世界湿地都市ネットワーク市長会議」が開かれる。世界の17か国、43都市の市長らが集い、意見交換する。

環境省も、開催のことを広報したいと、歓迎の姿勢だが、湿地を取り巻く状況を見ると、なお開発圧力で、存続の危機にあったり、水質など環境汚染に悩まされたりしている湿地は多い。それは、湿地そのものを守る法律などの仕組みがないからである。国は、野鳥の捕獲禁止の鳥獣保護区や国立公園の指定で、かろうじてラムサール条約の登録基準をクリアしているにすぎない。

実は環境省が網羅的な保護に動こうとしたことがあった。2001年、全国で重要な湿地を500選び、「重要湿地」として公表した。

「まず、こんなところが重要な湿地なんだと知ってもらうことが重要だ。湿地の名前とその湿地の特色、価値を示し、地元自治体と地域住民で、どうするか話しあってもらうことを期待した」と、500か所の選考にあたった選考委員会の委員は振り返る。

ところが、選定が終わり、公表しようとしたところ、待ったがかかった。幾つもの自治体が横やりを入れたのだ。「名前が出たら開発計画に支障が出る」(岐阜県)「リニア中央新幹線がそばを通る」(岐阜県御嵩町)と、反対の声が相次いだのである。大もめした末、公表された湿地から、それらの湿地の名前が消えていた。

「開発をやめろというわけではない。どうするかは地域で決めればよいことで、そのためにも湿地の情報を提供した方がよいと考えたんだが」と環境省OBは語る。

いま、重要湿地の所在地は、環境省のホームページから削除されている。環境省の施策を並べた年表にも、「重要湿地500」はない。環境省にとっていまわしいことだったのかもしれない。いまや、官民あげて「自然再興」に取り組まねばならない時代である。「自然再興」のため、自然にどう向き合い、行動すべきか。「湿地」は、そのバロメーターの役を果たしている。

参考:潟のデジタル博物館(新潟市公式) ホームページ

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