天空の城「竹田城」のシンボル一本松が枯れる!原因は観光客だった…

天空の城「竹田城」のシンボル一本松が枯れる!原因は観光客だった…

南米、ペルーのマチュピチュが天空都市と言われるように、日本にも天空の城と言われる場所があります。それが竹田城です。天空の城と言われる竹田城はその風景が美しく、シンボルとされる一本松も人々に愛されてきました。

しかし、その一本松が枯れてしまったと話題になりました。樹齢推定100年以上とされる一本松は、何が原因で枯れてしまったのでしょうか。

竹田城とは

竹田城は兵庫県にある、室町時代に建設されたお城です。 日本城郭協会が選ぶ、日本100名城に選ばれるほどの名城としても知られています。 戦国時代では「竹田城の戦い」と「関ヶ原の戦い」で戦いの場にもなりました。

「竹田城の戦い」では、当時の城主である太田垣輝延(おおたがき てるのぶ)と、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の弟である羽柴秀長がぶつかりました。 この戦いで、太田垣輝延は城主の座を奪われ、竹田城は太田垣氏の手から離れることになります。

その後も、天下分け目の大戦と言われる「関ヶ原の戦い」では、最後の城主である斎村政広(さいむら まさひろ)のもと西軍に属して、京都の舞鶴市にある田辺城を攻めることになります。 しかし、東軍の武将であった亀井茲矩の誘いを受けて、逆に西軍の鳥取城を攻めることに。

そのとき、斎村政広は城下町に火を放ったとして責任を負い、切腹することになり、最終的には江戸幕府が出した一国一城令によって、竹田城は廃城となってしまいました。

このように、竹田城の歴史に登場する人物や出来事は、あまり教科書で取り上げられる人物は出てくることはありませんが、お城は観光スポットとして人気があります。 その理由は天空の城と言われる、美しい景色にあるのです。

なぜ天空の城と言われるのか

なぜ、竹田城が天空の城と呼ばれるのでしょうか。 竹田城は標高353メートルの山の上に存在します。< もちろん、ただ山の上にあるから、天空の城と呼ばれているわけではありません。

竹田城は晴れた秋の日の朝に、近くを流れる円山川から濃い霧が立ち上がり、その周囲を囲みます。 その姿は雲海にお城が浮かんでいるかのような景色となるのです。

もともとは知る人ぞ知る景色でしたが、日本100名城に選ばれ、それがさらにメディアに取り上げられると、人気が爆発しました。 雲の上で浮かんでいるような、幻想的な竹田城の景色を見ようと、多くの観光客が訪れるようになったのです。

そして、その竹田城にはシンボル的な存在である「一本松」と呼ばれる松がありました。 しかし、これが2017年に枯れてしまったのです。

シンボルの一本松が枯れた原因は?

竹田城のシンボル、一本松が枯れてしまったのは、その美しい姿が故に押し寄せる観光客が原因でした。 一本松の近くは、城下町を一望できるため、綺麗な写真が撮れるスポットでもありました。

そのため、観光客たちは、一本松の周辺を歩き回ることが多く、その影響で地表の草が失われ、土壌が露出してしまいます。 最終的には根もむき出しの状態になってしまい、樹勢が衰えていくことになりました。 結果、一本松は2018年に伐採されることになってしまいます。

しかし、その一本松の木はバイオリンの素材に使われることが決まっています。 竹田城の美しい景色を際立たせてきた一本松が、今度は美しい音色として生まれ変わるのです。

自然を楽しむマナー

竹田城の一本松は観光客のマナーによって失われてしまいました。 他にも竹田城の周辺では観光客のマナーの悪さが話題になっていたようです。

このような人間の行為が、かけがえのない自然を奪ってしまうケースは他にも見られます。 美しい自然は私たちを癒し、深い想い出を残してくれます。

しかし、楽しみ方を間違ってしまうと、取り返しのつかないことになってしまうのです。 私たちは、自然との接し方をしっかりと考えながら、楽しみ方を間違えないよう注意する必要があるでしょう。 観光の際は、ぜひそれを注意しながら楽しむよう、心がけてみてくださいね。

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