湿地を守る・日本最大の釧路湿原を訪ねた(上)湿地の乾燥化進み、消滅の危機

湿地を守る・日本最大の釧路湿原を訪ねた(上)湿地の乾燥化進み、消滅の危機
細岡展望台。湿原をのぞむ(北海道釧路町)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

釧路川(くしろがわ)の流域を見渡すと、北端の屈斜路湖(くっしゃろこ)から釧路川が南北に縦断し、オソベツ川、ヌマオロ川、コッタロ川、ツルハシナイ川などの支流が流れ込みます。

釧路湿原は、東西25キロ、南北36キロ、総面積2万2,070ヘクタールの日本最大の湿原です。重要な湿地を登録し、保護することが求められるラムサール条約の登録湿地に指定され、その中心部は国立公園として保護されています。

しかし、戦前、戦後の農業や市街化の進展で、浸食され、治水事業として蛇行していた河川を直線化したことで上流からの土砂が堆積(たいせき)し、湿地の乾燥化を進めています。

危機に瀕(ひん)した釧路湿原を守るために、自然を回復させる事業がいま、続けられています。釧路湿原を訪ね、歩くとともに、湿原の回復に取り組む事業を見ましょう。

ジャーナリスト 杉本裕明



細岡展望台から蛇行する釧路川が見える

釧路湿原にはさまざまな楽しみ方がある。幾つか展望できる場所があり、そこから木道が整備されており、湿原を探索できる。訪ねた人は、その雄大さと、湿地独特の動植物を観察することができる。

夏にはカヌーで川を下ることができるし、自然ガイドが同行するツアーもある。キャンプ場があり、場所によってはクロスカントリーも可能だ。鶴居村には、タンチョウの里があり、湿原の近くに設けられた幾つかの給餌場で、餌を求めて舞い降りるタンチョウの優雅な姿を見ることができる。

細岡展望台には観光客が集まっていた
杉本裕明氏撮影 転載禁止

JR北海道の釧網本線の釧路湿原駅から20分ほど歩いた小山の中腹にある細岡展望台(大観望)からの眺望はすばらしい。はるか先まで視界一面に広がる湿原を、釧路川がS字状に蛇行する。前方に雌阿寒岳と雄阿寒岳の雄姿が目に映る。観光時期には、観光客はひっきりなしに訪れ、この釧路町達古武(たっこぶ)にある展望台は、一番の観光スポットである。

「たっこぶ」とはアイヌ語で、たぷこぷ=盛り上がった形の山のことだ。まさに小山にある展望台だ。だから見晴らしがよい。

サルボ展望台から湖沼群を一望

そこからしばらく北に向かって車で国道391号を北に走ると、標茶町に入る。そこにはサルボ展望台がある。ここも山道を登った高台にあり、釧路湿原最大の湖の塘路湖のほかサルルン湖、ポン沼、エオルト沼など小さな湖沼群を一望できる。ここは、観光客があまりいかない場所なので、じっくり釧路湿原を味わいたい人には打ってつけかもしれない。サルボ展望台から、脇道をさらに歩くと、サルルン展望台もある。

サルボ展望台に向かう山道。かなり険しい
杉本裕明氏撮影 転載禁止

湿原の南にある釧路市には釧路湿原展望台(有料)があり、展望台にイトウなどの展示物もある。外は木道があり、散策できるが、展望台からの景色はいまいちである。

達古武湖の湖畔には、オートキャンプ場がある。ロッジとバンガローが設置され、炊事場やバーベキューコーナーもあり、訪れる車が絶えることはない。ワカサギ釣りなどもでき、カヌー体験もできる。

達古武湖の湖畔にあるオートキャンプ場.はロッジがあった
杉本裕明氏撮影 転載禁止
達古武湖の湖畔のオートキャンプ場。川下りができる
杉本裕明氏撮影 転載禁止

ここから、木道を歩き、湿原を探索してみよう。川とわき水で、地面はじゅくじゅくの状態だ。この湿原の過半を占めるのが、ヨシやスゲなど湿地に生える植物だ。地表面が地下水位より低い低層湿原と呼ばれる湿地には、ミツガシワ、ヒメカイウなどの植物が見られる。

達古武湖の湖畔にあるオートキャンプ場から湿原へ。地面をみると、湿地特有の植物か
杉本裕明氏撮影 転載禁止

だが、それは、木道のそばではない。むしろ、目立っていたのは、大きなハンノキだった。低地や湿地のような湿ったところに自生する木だが、釧路湿原では、乾燥化のバロメーターとして存在しているようだ。開発が進み、水の供給が減り、湿地が乾燥化に向かっていくと、ハンノキの分布が広がっていくのである。

達古武湖の湖畔にあるオートキャンプ場から木道を歩き、湿原へ。ハンノキがあった
杉本裕明氏撮影 転載禁止

乾燥化による湿原の衰退が大きな問題になっていた

実は、日本最大の湿原である釧路湿原は、開発行為で乾燥化が進み、次第にその面積を減らし、衰退しつつあるというのである。開発行為には、河川の直線化もあった。

水害防止のためには、上流から流れてくる水をあふれないように直線化して早く流した方がよい。そこで、戦前から戦後にかけて、釧路川はじめ、湿原を蛇行していた川を直線に改造した。それは上流から土砂を運び、湿地を埋めていく。こうして酪農や工業用地などにする土地開発とともに、釧路湿原を痛め、消滅させる要因の1つになっていた。

河道を直線化し、土地を改変する動きが戦前から始まり、戦後に入っても1980年ごろまで盛んに行われ、その後は支流の直線化工事が1986年ごろまで進められた。直線化は、洪水を防ぐため河道を直線化し、できるだけ早く洪水を流すためである。

土地利用を見ると、戦後、牧草地化と市街地開発が進められ、牧草地は、1947年に約100平方キロにすぎなかった牧草地が1985年には600平方キロに拡大、取るに足らなかった市街地・工場・道路は、1985年に約100平方キロにまで広がった。

犠牲になった湿地の動植物

その代わりに犠牲になったのが、林地の減少であった。それだけではなかった。川の直線化によって、乾燥化が進み、乾燥化を示すハンノキ、ヤナギ林が増え、湿地に生育するミズゴケやヨシ・スゲが縮小した。

最も重要な課題は、湿原面積の急激な減少だった。釧路開発建設部によると、1947年に約250万平方キロあった湿原が、96年には190万平方キロに減少し、50年間で2割も減ることになった。これは、農地・宅地の開発と、河川の直線化、周辺の森林伐採によるものである。冠水頻度が減少し、地下水位が低下し、さらに土砂・栄養塩類の流入量が増加し、乾燥化が進むと、そこにハンノキが進入してくるのだ。

乾燥化のバロメーターと言われるのが、ハンノキである。その面積は、1947年に21.0平方キロだったのが、77年には29.4平方キロに、96年には71.3キロ、50年間で3.5倍、特に直近20年の間に急激に拡大した。反対に、ヨシ・スゲ類は224.8平方キロから123.0平方キロに縮小していた。この結果、湿原は、風景や景観が悪化するだけでなく、希少な野生生物の生育環境が悪化した。

湿原は、釧路湿原を生育地とするタンチョウやキタサンショウウオ、エゾカオジロトンボなどの希少生物の宝庫であったが、それが絶滅の危機に瀕することになっていったのである。

釧路湿原を守れと保護団体が立ち上がる

筆者が釧路湿原に取材で訪れたのは1980年だが、長靴を履いて湿原に踏み入れると、靴がぬかるみの中に入らないところには、ハンノキの大木が目についた。案内してくれた市の学芸員は「抜本策を立てないと、やがて湿原はハンノキだらけになり、湿原は消滅する」と顔を曇らした。

釧路自然保護協会が国や北海道、釧路市に、このままでは湿原は取り返しがつかなくなってしまうと、開発を抑制し、湿原を保護するためにも、ラムサール条約の登録湿地にすべきだと訴え、湿原の中心部の78.63平方キロがこの年に実現していた。

しかし、地元の理解が深かったわけではない。釧路市側の湿原のあちこちに、廃棄物が不法投棄されていたし、酪農家の牛舎から糞尿(ふんにょう)が河川に流れ出し、きちんとして対策は取られず、農家の理解も深いとはいえなかった。釧路市の北隣に位置する鶴居村には、湿原が広がり、タンチョウの生息地として有名であったが、酪農の障害になるような保護策をとることに村は難色を示していた。

開発か保護かをめぐって、なお、鋭い対立があったのである。登録湿地になったところで、具体的に保護策を講じないことには湿原は守れない。そこで環境省は、国立公園に指定して保護策を講じようとし、1987年に釧路湿原国立公園に指定した。

直線化した河川の蛇行化に取り組む

釧路市にある環境省東北地区自然保護事務所は、阿寒、知床、釧路湿原の三つの国立公園を管轄しているが、阿寒と知床は比較的良好に保全されているのに対し、釧路湿原は、消失と劣化に悩まされていた。

サルボ展望台から、塘路湖などの湖沼群がかいま見える
杉本裕明氏撮影 転載禁止

湿原の消失だけではなかった。湿原にあるシラルトコ湖、達古武沼、塘路湖の三つの湖では、90年代に富栄養化が急速に進んだ。1975年に18~24種いた水生植物は、2000年に8~14種に減少し、富栄養化の指標であるリンは、20年間で4倍から5倍に増えた。上流の酪農家による家畜の糞尿や、土砂流出が原因だ。国立公園化することで指定地内の開発を制限したり、抑制したりできるが、外部からの影響を取り除くのは難しい。そして、何より、失われた自然をどう回復させたらよいのか。

細岡展望台から釧路湿原を見る。釧路川が蛇行していることがわかる
杉本裕明氏撮影 転載禁止

そんな課題に取り組むために制定されたのが、自然再生推進法だった。2002年12月に制定され、翌年1月に施行された。これは、内閣が国会に提出する法律 でなく、国会議員らが法案を国会に提出して制定された議員立法と呼ばれる。

議員立法で成立した自然再生法

当時は、「とまらない公共事業」「無駄な公共事業」「自然を破壊する公共事業」と呼ばれたように、三重県の長良川河口堰(かこうぜき)、徳島県の第十堰(ぜき)、群馬県の八ツ場ダムなどの事業に国民の批判が向けられていた。その一方で、欧米では自然を再生する動きが顕著になっていた。イタリアでは荒廃した工業用地を湿地に戻したり、オランダでは、河川を自然に戻すための事業が行われたり。日本でも国土交通省による多自然型川づくりが始まっていた。

そんな動きをタイムリーに受け止めたWWFジャパン、日本自然保護協会などの自然保護団体が提唱、それを受けた民主党、さらに与党の自民党、公明党も乗り、共同提案という形で成立した。しかも、議員立法の場合は、予算を伴わない基本法のようなものが多いが、この自然再生法は、国土交通省、農水省、環境省を主務官庁とし、予算付けして取り組むことが明記されていた点で画期的だった。

貴重な自然を再生・復元するため、指定された地域ごとに実施者が関係者や団体と自然再生協議会をつくり、全体構想を策定する。実施者はそれに基づいて事業ごとに実施計画を策定、事業を行う。全国で所沢の雑木林の復元など五つの協議会が設置されたが、その1つの釧路湿原の協議会は、日本最大の湿原の自然再生に取り組むだけに、飛び抜けて重要視されていた。

釧路湿原全体構想で目標掲げる

釧路湿原全体構想は、2003年11月に、釧路市、標茶町などの地元市町村、環境省、北海道開発局、北海道庁、研究者、市民、NPO代表など100人以上で構成され、6つの小委員会で練り、2005年3月に全体構想が定められた。

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