ビキニ環礁とは?アメリカの核実験場でゴジラの故郷の現在!
人類が生み出した、最も恐ろしい兵器として、核兵器を思い浮かべる人は多いでしょう。 その核兵器の歴史の中でも、重要な場所が太平洋に浮かぶマーシャル諸島にあります。
それがビキニ環礁です。 ビキニ環礁とはどういった場所で、核兵器とどのような関係があるのでしょうか。
ビキニ環礁とは?20世紀負の遺産が残る場所
ビキニ環礁とは、西太平洋にあるマーシャル諸島の環礁の一つです。 環礁とは、環の形をした珊瑚礁のことを言います。
美しい珊瑚礁によって作られるビキニ環礁は、ダイビングスポットとしても注目を集めていますが、この場所が特別である理由はこれだけではありません。 ビキニ環礁は過去に、核実験が行われていた場所でもあるのです。
そのため、ビキニ環礁の付近では、20世紀の戦争が残した負の遺産を目にすることができます。 つまり、ビキニ環礁は美しい珊瑚礁と海に囲まれているだけでなく、歴史を学べる場所だと言えるでしょう。
ビキニ環礁は、核実験の場所として、どのようなことが行われていたのでしょうか。
ビキニ環礁は核実験の場だった
1946年、ビキニ環礁はアメリカの信託統治領でした。 ビキニ環礁を核実験場に選んだアメリカは、住人170人を無人島のロンゲリック環礁へと強制的に移住させました。 移住させられた住民たちは、ロンゲリック環礁では食料を調達することも難しく飢餓に苦しんだそうです。
1946年の7月、ビキニ環礁で最初の核実験が行われます。 それは、クロスロード作戦と言われ、大小71隻の艦艇を標的とした、原子爆弾の実験でした。 実験の標的とされた船の中には、第二次世界大戦の際にアメリカが日本海軍から接収した、戦艦「長門」もありました。
1954年には、キャッスル作戦と言われる、4度の水爆実験が行われます。 このとき爆発した水爆の威力で、海底には直径約2キロ、深さ73メートルのクレーターが形成され、ビキニ環礁から240キロ離れたロンゲラップ環礁の島民や、日本の第五福竜丸を含む漁船が被爆することになります。 キャッスル作戦が行われた3月1日は、ビキニ・デーとされ、原水爆禁止運動の記念日となりました。
また、ビキニ環礁の島民たちは未だに島に戻れないほど、ここには大きな傷跡が残ってしまう結果となっています。
今では世界文化遺産のビキニ環礁
悲劇の場所であるビキニ環礁ですが、世界遺産に文化遺産として2010年に登録されます。 これは核実験の恐ろしさを伝えるために、重要な証拠が保存されていることが評価されたためです。
また、ビキニ環礁の世界遺産への登録は、広島の原爆ドームに続き、核兵器の悲惨さを伝える「負の遺産」としての登録です。 さらに、珊瑚礁が自然遺産ではなく、文化遺産として世界遺産に登録されることは、極めて異例なことでした。
そのため、ビキニ環礁は歴史や文化を伝える重要な場所と言えるのです。 ちなみに、水着のビキニは、クロスロード作戦時の爆弾の威力を例え、ビキニと命名されたそうです。
さらに、日本で最も有名な怪獣と言えるゴジラは、ビキニ環礁の実験の際に放射能を浴びて変貌したとされています。 このような側面でも、ビキニ環礁は人間にとって大きな意味のある場所です。
ビキニ環礁のような過ちを忘れないために
ビキニ環礁は人間にとって、自然的にも歴史的にも大きな意味を持つ場所です。 人はビキニ環礁によって多くを学び、多くのことを語り継ぐべきでしょう。
しかし、ビキニ環礁があるマーシャル諸島は環境問題によって沈む恐れがある、と話題になっています。 私たちは過去の過ちを忘れないためにも、ビキニ環礁を失うわけにはいきません。 これ以上、環境が悪化しないよう、ぜひ自然に負担をかけない生活を心がけてみてください。